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島本理生/ファーストラヴ

なんの予備知識もなく、『ファーストラヴ』を手に取り読み始めて驚いた。

この作品が大衆文学であること

殺人事件というサスペンスが扱われていること

直木賞受賞作であること

これらの事実に。

私が描く島本理生という作家のイメージ、それは、純文学、恋愛小説、芥川賞受賞候補作多数、という文字の羅列だったからだ。

だが、しかし、読み進めていくうちに、紛れもなく島本理生という一人の生身の人間が生み出した、彼女の作品であることに違いないと感じた。

同時に、

こんな書き方も出来るのか

書き方ひとつで作品は、このようにもなるのか

と驚愕した。

彼女自身これを大衆文学として書こうと意識し書いたのかはわからない。

意識して書いたのだとしたら、彼女も立派な職業としての小説家であると思う。

優れた書き手というものは、純文学や大衆文学といったつまらない垣根など、嘲笑うかのようにいとも簡単に越えていくものなのだろうか。

山田詠美の姿を重ねて見た。

彼女も受賞歴としては直木賞作家だが、多くの純文学作品を生み出し、芥川賞の審査委員を務めている。

純文学、大衆文学関係なく、エイミーの作品はどれも好きだ。

(※敬愛の意を込めて、私は山田詠美をエイミーと呼ぶ。それは、川上未映子を未映子と、又吉直樹を又吉さんと、呼ぶのと同じ気持ちだ)

親の責任って、どこまでなんでしょうね

扱われている内容は少しヘビィだ。

精神的な不安定さって年齢を重ねても残るっていうか、それは家庭環境が大きいものですよね。大人なんだから親は関係ないって、どこまで言い切れて、どこまで社会が認めて考慮すべきものなのかなって

一人の少女が父親殺しという、客観的に見たら大罪を犯す。

だがしかし、そこに至るまでの過程、経緯を紐解くうちに、何が正義かあやふやになってくる。

少女が置かれた環境、受けた虐待は実に絶妙なものなのだ。

その判断が難しいくらいに絶妙だ。

彼女自身も、自分の家庭の外の世界を知らないのだから、何が正常で何が異常か判断がつかない。

しかし確実に傷を負っている。

この、家庭環境が人格形成に影響を及ぼすという事実、関連付けの絶妙さは万人共通だと思う。

本人さえ気付いていない場合が大半なのではないだろうか。

一見健全に見えたって抱えている物がある人間も沢山いるのではないか。

私自身もあなたも。


それは、もしかしたら幼い時の経験から来ているものかもしれないのだ。

この物語では、丁寧に紐解くことで救われたけれど、紐解くこともせず、紐解く必要があるとも思わず、苦しいまま生き続けている人が少なくない人数いるのではないだろうか。

この作品の語り手、由紀は、

お金のためでも名誉が欲しいわけでもなく、有名になることで、より多くの救える命の声が自分の下へ届くようになってほしいから
私は有名になりたいんです

と語る。

この作品の、もう一つの救いは、

我聞、迦葉、由紀、この三人の人物が全員魅力的に描かれていることである、と私は考える。

この中で、正常な親の温もりを感じながら育ったのは我聞のみだ。

我聞は人格者だ。

そんな我聞に、迦葉も由紀も惹かれている。

我聞が持つものは、迦葉も由紀も手に入れ難いもののように映る。

島本理生が描く作品は度々傷付いた人間が登場する。

皆大人だが未完成だ。

痛々しくもある。

でも、その一人一人が魅力的に描かれている。

迦葉も由紀も例に漏れず、だ。

我聞だけでなく、迦葉、由紀も魅力ある人間として描かれている。

これは、ある種の人間讃歌、そんな風に感じる。

湿っぽくはあるが、暗くない。

恋愛小説としての魅力

もちろん、恋愛小説としての魅力もきちんと存在している。

さすが島本理生である。

私は彼女が描くシチュエーションに毎回悶絶している。今回だって、そこは裏切らない。

我聞と由紀がギャラリーで出会うシーン

英語の直訳みたいにストレートな申し出だった。

とある、我聞の誘い

迦葉と由紀がウォークマンのイヤホンを片方ずつ聴くじゃれあい

俺たち兄弟なんで

と嘘をつく定まり切らない関係

と、胸がきゅんきゅんするシーンも用意されている。

この作品は、これまでの魅力はそのままに、島本理生という作家の新たな道を切り拓いた、間口を広げた作品なのだ。

由紀が有名になりたい理由と同じ理由で、この作品が直木賞という有名な賞を受賞したことを嬉しく思う。

島本理生という作家に、より多くの人が出会うことで、救われる人間が増えることを願う。

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