若林正恭/表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬
Go Toトラベルが話題だが、誰かと一緒に行く観光を目的とした旅行には苦手意識と嫌悪感を抱き、一人で行く旅行には興味がない。
誰かと一緒に行く旅行は、行くことが決まったその日から緊張し憂鬱な日々が続く。幼い頃、毎年夏休みに用意されていた家族旅行も苦痛で、時期が近付くと情緒不安定になるほどだった。ちゃんと楽しめるか、心配なのだ。
テンションが高い人たちが苦手だ。例として挙げるならば、ディズニーランド。年甲斐もなくネズミの耳を付けてはしゃぐ大人たちが怖い。自意識が過剰なので、はしゃぐことなど到底出来ない。あいつら正気か?と冷めた目で見てしまう。
かといって一緒に行った人を悲しませたくはない。でも、無理だ、出来ない。そして落ち込み、しまいには一人トイレで泣くのだ。
私ほど神妙な面持ちで夢の国に立つ奴はいないだろうという妙な自信がある。
一人で行く旅行、いわゆる一人旅にもまるで興味がなかった。
現実逃避することに、私は意味を感じない。そんな時間があったら、日々を過ごしやすくする術を考える身に付ける。
自分探しのために旅に出る、という行動にも共感出来ない。
邦画『100万円と苦虫女』という作品がとても好きなのだが、その中に出てくる、自分探しをきっぱりと否定する「探さなくたって、イヤでもここにいますから」という台詞が好きだ。
だがしかし、“一人旅にもまるで興味がなかった。”と過去形にしたのは、こちらには興味が湧いてきたからである。
そう、生粋の旅行嫌いの私を変えた作品が、この、『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』だ。
欠陥だらけ?
こちらのあとがきにある文章を読んだとき、自分がなぜこの作品に好意を抱いていたのか理解した。
キューバ
この紀行文は、キューバ、モンゴル、アイスランドの3篇から成る。
中でも好きなのは、キューバとアイスランドの章だ。
新自由主義がもたらした競争社会。
「(人間に対して使われる)スペックが高い」「超富裕層」「格差」「不寛容社会」勝っても負けても居心地が悪い。みんなが友達で、みんなが競争相手。いつもどこでも白々しい。
「コミュ障」「意識高い系」「スペック」「マウンティング」「オワコン」....。冷笑的なニュアンスが込められた言葉たち。
競争に破れた者が無視される、そんなシステム。
アルバイトをしながら過ごした売れない芸人時代を経て、成功を収めた彼。周りの古くからの友人の態度の変化や、友人と自分との間にある格差を、目の当たりにしてきた。
そんな彼にとって、このキューバの旅には特別な思い入れがある。
機内で読んだという第155回芥川賞作品『コンビニ人間』についても、
と感想を抱く。
現地に到着し、彼は、大国に屈しないプライドが溢れているハバナの街、人見知りなキューバ人らしくないキューバ人マルチネス、革命博物館のカストロとゲバラ、カバーニャ要塞の野良犬や、キューバ在住の日本人女性マリコさん、『魁!男塾』の江田島平八という塾長に似ている握手の力が猛烈に強いタイプのエダジマに出会う。
キューバ人が大切にしているという「amistad(友情という意味)(血が通った関係)」に触れる。
そんな中で、彼の心は段々と変化する。
社会主義であるキューバには広告の看板がないという。
キューバに来た理由について、広告がない街を見たかったからだと答えると、そういう人は多いと返答があり、広告に疲れているのは自身だけでないのかと彼は気が付くのだが、わかると思った。
ある日を境に雑誌を手に取らなくなったのは同じ理由だ。
ページをめくれどもめくれども購買意欲を高める記事ばかり。一体何が必要で何が不要なのかわからなくなり、本当にそれが欲しいのか、なぜ欲しいのかわからなくなり、段々麻痺して消耗し、疲れてしまった。
こんなキューバの良さに触れつつも、しかし、市場で買い出しをしている時、彼はふと思うのだ。
社会主義国のキューバでは結構コネが重要なようで、コネがある順に情報が回ることもあるようだ。資本主義ならば高い金を払う順になるだろう。
どちらも善し悪しはあるけれど、自身にとっては、お金の順の方がまだフェアなのかもなと。
そのように感じるのだ。
これにも、とても共感した。不器用な自分はコネを持つことなど到底困難で情報など永遠に回ってこないと思う。
キューバの社会主義は結果が平等になることを目指しているが機会は不平等であり、社会主義に癒されるつもりでやってきた彼の目論みは外れ、日本の自由競争は機会の平等であり、結果の不平等だという考察にいきつくのだ。
そして彼は、そんな社会主義国で暮らすキューバの人たちを見て人間には欲求がデフォルトで備わっているのだと実感する。
20代の頃お金も仕事もなく、社会から爪弾きにされている気分だったけど、それは全部自分で選んだのだし選べる自由が日本にはあるのだと気が付く。
日本を発つ前は新自由主義に競争させられていると思っていたが、元々人間は競争したい生き物なのかもしれないと気が付き始める。
そうして
と肩を落とすのだ。
とても正直なこの言葉は、現代の若者の気持ちを見事に代弁しているように私は感じた。
最終日4日目彼は、完全に一人で行動すると決めていた。
ここに来て初めて、今回の旅の本当の目的が明かされるのだ。
亡くなった父親が行ってみたかった国、それがキューバだったのだ。
キューバの街全体にはまだWi-Fiが飛んでいない。マレコン通り沿いには夕方を過ぎると人がさくさん集まってくる。
その後、若林氏が結婚されたことは私にとって大きな希望であった。
家族を持つことの意義、結婚も悪くないなという希望、一人旅の意味、これらを教えてくれた大切な作品だ。
アイスランド
もう一つ、とても好きな章が、アイスランドだ。
この章は、「ロンドンの方ばかりです」と伝えられていたツアーが、その実大半(9割~10割)日本人だらけで、話が違うじゃねぇか!というところから始まる。
一人で参加していた自意識が過剰な彼は、当然なじめず、初日のディナーから腹痛を装い逃亡する。39歳にして仮病を使って逃亡したのである。
その後、ベッドに横たわり、スープの後は何が出て来たんだろうなーと想像しながらナッツを口に放り込むのだが、もうこの状況での彼の気持ちに寄り添いすぎてしんどかった。
その後も一人で勝手がわからず、ブルーラグーン(世界最大の露天風呂)で客達が踏みしめた泥を顔に塗ってしまったり(泥パック用の泥は別の場所に用意されていた)するのだが、
バスの中で乗客たちから声を掛けてもらったところから状況は好転していく。
彼が段々とツアーに馴染んでいく姿は、見ていて思わず、「頑張れ、頑張れ!」と応援してしまったし、周りの皆様の温かさには涙しながら、一緒になって手を合わせた。
本当に自分を見ているような気持ちになったのだ。
ストロックル間欠泉の白い煙を見ながら、彼が抱いた感想は、
そう、彼もまた、怒れる人間なのだ。私もまた、ぐしゅぐしゅの不安定なのだ。
一人旅に出たいと思う。
彼のような視点で、自分にしか見えない景色を心に映してみたいと、そんな旅行なら悪くないと、感じた。