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江國香織/ぬるい眠り

私は、結婚指輪というものが嫌いなのだ。これは私の夫ですから手をださないで下さいね、という奥さんの声がきこえてきそうで、それをまた臆面もなくはめて社会を闊歩している男の人もいやで、ほんとうにうんざりする。
「あんなの、犬の首輪とおんなじじゃない」
耕介さんはとても悲しいような、とても怒ったような、複雑な顔をした。
「雛子ちゃんにはわからないかもしれないな」
他のどんなこたえより、私を傷つけるこたえだった。

結婚する前は、その行為は[浮気]と名付けられている。

結婚した後は、[不倫]と呼ばれるらしい。

まるで、[にきび]と [ふきでもの]みたいだ。

同じこと、同じものなのに、呼び方が変わる。

しかも厄介なことに、後者は罰則付きなのだ。

私は、不思議で仕方なかった。どうして人の感情の動きに罰が生まれるのだろう。

不思議で不思議で仕方なくて、調べたりもした。

まあ当然、結婚という制度が関係する。

その制度の中に、貞操義務というものがあるらしい。

貞操義務
夫婦は貞操義務(守操義務)を負う。民法上には直接的な明文の規定はないが、婚姻の本質からみて当然の義務であると解されており、不貞行為は離婚原因となる。
夫婦間の不法行為責任
他方配偶者は不法行為責任(損害賠償責任)を追及しうる。
第三者の不法行為責任
相手方たる第三者は共同不法行為者となり、その第三者に故意・過失がある限り、他方配偶者はその第三者に対しても慰謝料請求しうる。ただし、判例は夫婦関係がすでに破綻していた場合の第三者の不法行為責任を否定する。なお、夫婦間の未成年の子からの第三者への損害賠償請求は否定される。
Wikipediaより

“民法上には直接的な明文の規定はないが、婚姻の本質からみて当然の義務であると解されており”

ますます、わからない。

婚姻の本質ってなんだ。当然ってなんだ。

耕助さんが奥さんの話をしなかったのは、奥さんがいることをかくそうとしたからではない。私たちにとって奥さんがいるかいないかなんて、どうでもいいことだったのだ。これはひどく傲慢なように、あるいはひどくいいかげんなように、きこえるかもしれない。しかし世の中には、そういう風にしか恋のできない人間というのがたしかにいるのだ。

私は、曖昧な事象が好きだ。だって曖昧なものには終わりがないように思える。つかず離れずの距離感は心地が良い。

長く一緒に居ることで感じる、二人でいる時ふと襲われる寂しさや侘しさの方が私にとっては耐え難い。一人の方がよっぽどましだ。

それに、制限は不自由だ。不自由はつまらない。つまらないは退屈だ。

もっとたくさんの人と自由に向き合いたい。見つめ合ってみたい。

そう思うことが罪なのだろうか。

どこまでがよくて、どこからがダメなのか、それは私が決めることではないらしい。

何かを縛るということは、自身が縛られているということだと思う。

何も縛りたくないし、何にも縛られたくないと思う。

淋しい人間だと言われれば、それまでだ。

世の中には、三種類の人間がいるのだと思う。善良な人間と、不良な人間と、どちらでもない人間と。どちらでもない人間は、狂おしいほど善良に憧れながら、どうしようもなく不良に惹かれ、そうして結局、どちらでもない人間はどちらでもなく、一生善良に憧れつづけ、不良に惹かれつづけて生きるのだ。

これでいったら、私は間違いなく不良なのだろう。

夕方の風に、私は目をほそめた。夕方というあいまいな時間が私は好きである。主婦が買物に行く時間、子供たちが路地で遊ぶ時間。ばら色と、グレーと、うすい青とがまざったような空気。
水田では、金色にそまりはじめた稲穂が、さらさらと乾いた音をたてている。
江國香織『ぬるい眠り』


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