天袮涼/希望が死んだ夜に
今思えば学生時代ほど、情け容赦ない理不尽、抗えない不条理に晒される年代があるだろうか。
“親ガチャ”という言葉があるように子は親を選ぶことが出来ない。
“カースト制”という言葉も集団生活においては実在する。
温かい食事暖かい布団清潔な衣類を毎日与えられて養われたという経験は決して当たり前ではないのだ。
貧富の差はそのまま学校生活においての“カースト制”に直結することもある。
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この作品は大筋はミステリーだ。
動機は?真犯人は?とシンプルに楽しむことだってもちろん出来る。
だがしかし、読み進めていくうちに心に黒い影が広がる。
その影はやがてしこりとなる。
我々はどこまでいっても傍観者だ。
救いの手を差し伸べたくても方法がわからない。
ただ、彼女たちに、それでも何とか生き残れ、と願わずにはいられない。
だがしかし、ネガが絶望する度に共に絶望する。
このまま生きていて希望があるのだろうか。
やすやすと軽い言葉を向けることなど出来ない。
そう、あの夜死んだのはまさに希望なのだ。
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資本主義が生み出した闇。
この暗闇の中で、それでも少女たちは輝いていた。
深夜のバイト帰り、夜道で二人は確かに眩い光を放っていた。
この輝きを奪ったのは一体誰だろう。
最後に、ハッとさせられた、この作品の中にあるネガの独白について記す。
この年代の少女の多くはロマンティックだ。
だがしかし、ネガにはそんな余裕も残されていない。
貧困は少女から想像力をも奪うのかと、言葉を失った。
同情なんてしない。
ネガに対して失礼だ。
これは同情なんかじゃない。
直接的な表現ではなく、このような表現で示唆する著者天袮涼に好感を抱いた。
もし私が教員で国語の授業でこの作品を扱うことがあれば迷わず此処に傍線を引くだろう。