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島本理生/あられもない祈り

あの日々の、たわむれというにはあまりに重たい責め合いの中で抱き合ったことすら今は肌から抜け落ちて、

古典にもなり得る。
序文でそんな予感がした。
あまりに美しいものだから咏かなとさえ思った。
見た目は本だがこの作品は"恋”そのものである。私は今"恋"を抱えている。

あの夏の駅まであと三つ。

から始まる最後の数行を読んだとき、予感は確信に変わった。

育った環境から人は逃れられないのか

“あなた”と“私”の物語は、三年前の夏の日、二人一緒に岩場の陰で日の入りを待っているところから始まる。

夕暮れに染まった海は、生々しい傷のように見ているだけで息苦しさを覚えた。それは生まれて初めて目の当たりにする瞬間であると同時に、何万回もくり返し求めた憧憬を抱いていた。

物語の終盤、“あなた”と行きたかったはずの石垣島で“私”は一人タクシーに乗り込むのだが、その運転手が

「こっちの方言で、東はあがり、西はいりって言うのよ。お客さん」

と突然告げる。それを聞き、“私”は

私とあなたの関係はもうじき入るのだろうと悟った。

そう、「生々しい傷のように見ているだけで息苦しさを覚え...」これは、まさに二人の関係を形容していたのである。

“私”も“あなた”も、そして“私”の同居人“直樹”も皆不完全だ。

皆、大人なはずなのだが、弱くて脆い。

“私”は自傷行為に及ぶし、“直樹”は盗みぐせがあり、おまけにDVだ。

それでも、しばらく“私”は“直樹”と離れられない。

傷ある者同士、お互いがお互いに依存し合い、甘えている。

“あなた”と出会い、“直樹”とは離れるのだが、待ち構えているのは、奥さんがいる“あなた”に対する想いとの葛藤だ。

“私”や“直樹”を“メンヘラ”と言われてしまえばそれまでだし、“私”と“あなた”の関係を“不倫”で片付けられてしまえば、途端に陳腐だ。

だがしかし、島本理生という作家が描いたこの作品には、そうはさせない力がある。

「愛してるかって言われたら、よく分からないけど。僕はそういうことを、教えられて育ってないから」だから彼は、愛情表現も上手くいかない。だけどもし私たちが六つ、七つの子供なら、好きだと言いながら髪を引っ張ったり怒鳴ることだって受け入れられるのに。大半の人たちがそこから卒業するのは、誰からも好かれないと学ぶから。私は許してしまえることで互いの成長を退けているのだと思う。
あなたの中には、私の仕組みを変えるかもしれない光がたしかにある。でも直樹にはない。彼は傷つけずに私と関わる方法がまったく理解できていなくて、そんな彼にとっての出口も私の中にはない。そのことが、悲しかったのだ。

正直私は、“直樹”の気持ちに寄り添いすぎて、泣きながら読んでいた。

だが、しかし、そんな“私”と“直樹”の関係について、“あなた”は、

その関係は愛情でもなんでもない

と一刀両断する。そして言い放つのだ。

「もっと、絶望しろよ」
「そんな浅いところで馴れ合ったり傷つけ合って、それで絶望したつもりか。君が孤独になりたいというのなら、それでもいい。ただ、そんな浅瀬で溺れたふりなんて、俺は一生認めないし、そんなことになれば、君を軽蔑する」

しかし、“私”にとっての“あなた”との関係も決して休まるものではない。

痛い、苦しい、淋しい、そのぜんぶを正当化できない息苦しさ。巨大な罪悪感を持ちきれなくて、あなたを責めた。自業自得だと思うほど飛び出す言葉は容赦なく、自分の内側から噴き出した毒がまわって病んでいく。
ゆっくりと指先から死んでいくような思いがして、

という表現もある。

だが、“私”自身、その不幸な境遇に慣れ親しみ、不幸を最良の親友のように愛していたのではないだろうか。

母親と似た境遇に陥るのを拒絶したくて必死だったとあるが、知らず知らずのうちにとっくに絡め取られていたのではないだろうか。

育つ環境が、いかに人格形成に影響を及ぼすか、これは話題作『ファーストラヴ』にも通じるところである。

恋愛とは人の暗部か

二人分の夕飯を作りながら暗い窓辺でまわる換気扇を見つめていると、まるで宇宙の片隅の誰もいない星に一軒だけ建てられた家の中で、百億光年先の星から戻ってくるあなたを待っているような気持ちになった。

と、この作品の中にもあるが、

川上未映子『発光地帯』において語られる「世界なんかわたしとあなたでやめればいい、そしてもう一度わたしとあなたでつくればいい」という言葉にも見受けられるとおり、恋愛とは、あなたとわたしとの世界が、そこにあるのみだ。

広い広い宇宙に想いを馳せ、心が、すーんとなる、あの感覚。あれと同じくらい、とても...いや、とてつもなく淋しい気持ちに襲われる。

恋愛とは、人の暗部だろうか。

うつくしいレンアイ...そんなものこの世に存在するのだろうか。

少なくとも、私にとってそれは都市伝説だ。

恋愛は、いつだって、ぐしゃぐしゃしていて、底から噴き出すような熱いドロドロしたものだった。

“私”が乗った列車は下りか上りか、そんな話を持ち出すのは、それこそ陳腐だし、野暮というものなのだろう。


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