顔より大事なもの
マスクをすることが当たり前になった世界。
夏至が近づいて、マスクの中に熱気が籠って息苦しい。
そういえば、マスクをしないと外に出られない時があったな。
他人が怖かった時期のことだ。
私はずっと自分の顔が嫌いだった。
顔だけじゃなくて、自分を構成するほとんどの要素を憎んでいたと言ってもいい。
子どもの頃、よく顔の造形のことでからかわれた。
同級生だけでなく、周りの大人からもいろいろ言われた。
今となってはこのことを思い出しても心に波は立たないが、当時は大問題だった。
「可愛い」がもてはやされる世界。可愛いが正義。
でも、私は可愛くない。
美人なわけでも可愛いわけでもない自分の顔。
友達に「カピバラさん(キャラクター)に似てる」って言われたこと、あったな。「カッターナイフのような目をしてる」とか、「野犬のような目」とか言われたりもした。「鼻の穴の人」とかもね(なんじゃそりゃ)。
みんな言いたい放題。
人になにか言われると、人の意見=自分って捉えて、ものすごく左右された。「自分」がなくて、人に言われた形容詞で生きていた。人の価値観で自分の価値が乱高下する日々。当然、心も身体もめちゃくちゃ。
誰かが貼ったレッテルに沿って生きることは辛すぎた。
だから人と一緒にいたくなかった。次に何を言われるんだろうと思うと怖かった。
私も自分の顔、嫌だったよ。
からかわれて嫌だったから、私は人をからかわないし笑わない。人にいろいろ言われた経験を反面教師にできたのは収穫だったけれど、外見に関するコンプレックスや思い込みは、本当に長らく私の人生に影を落とすことになった。
歳のせいか、あまり自分の顔についてくよくよすることはなくなったし、周りの人に顔そのものについてどうこう言われることもかなり減った。
若さという無敵の長所を失い始めると、誰しもそこかしこに綻びが出てくるし(個人的には、外見も内面も、歳を重ねることでしか得られない「味」があると思うので、若さにこだわってはいないけど)、きっと心のひだが増えて表現の多様性が増すせいもあるのかもしれない。
それは人への思いやりだったり、諦念のようなものだったり。
社会で揉まれているうちに、外見が良いこと自体はそこまで利点でもないということに気づき始める。
確かにメリットはある。第一印象がいいとか、ぱっと目を引くとか。
でも、顔のつくりより大事なのは「表情」だ、と思うようになった。
いくら顔が整っていても、表情次第で印象はかなり変わる。顔のつくりは自力では変えられないけれど、自分の表情(やそれに伴う自分の感情)は変えられる。
変えたければ変えればいいし、変えたくないなら変えなくていい。そこも自分の裁量でできる。
「自分を生きる」ってそういうことも含めてだよなって思う。
自分の表情にも、感情にも、自分がこの世でつくり出すものに責任を持つこと。他人に責任を預けないこと。
ちょっと話がずれたけれど、周りに左右されてしまって辛いと感じている人は、「自分ができる範囲のこと」をないがしろにしない方がいいと思う。
表情含め、小さなことでもいいから自分のやりたいようにやってみて、試してみること。そうしていくうちに自分を信じられるようになる。「あ~、私自分でできることもあるじゃん」って。自信がつく。
外見以外のところで自信がつくと、顔がどうこう言われてもあんまり気にならなくなる、って場合もある。陳腐かもしれないけれど、外見より内面が大事って感じることも結構あるから。どちらもいいに越したことはないけれど。
ああ、本当に話が脱線した。
私も自分の顔が嫌いだったけれど、ある日気づいた。
私は可愛い顔にはなれないけど「可愛げのある人」にはなれるんじゃない?
それなら、私は「可愛げがあって愛嬌がある人」になりたい。
他人の形容詞で生きなくても、自分で自分をクリエイトできるんだよ。
人は色々言う。言う人はなんだって言う。でも、だからって自分やあなたの価値は変わらない。
自分や他人の貼ったレッテルを全部一度捨てて、まっさらな目で見て。
さあ、どんな言葉で自分を飾ろうか。
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