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「私たちは、同じじゃなくて大丈夫。異なるのだから。」ドーリス・シューラーさんの言葉。
皆様こんばんは!honaです(*^^*)
以前、素晴らしい本に出会った話を、しました。
ママのためのシュタイナー教育入門
随分のんびりなペースですが、ようやく読了しました!!
上記の記事でもお話しましたが、とにかく、
日本のお母さんたちへの共感、労い、慈しみ、そして大きな愛に溢れる、
心動かされる一冊でした。
その記事でも、好きな一節をご紹介したと思いますが、今回も、本の最後のほうで、私の琴線に触れた言葉を、ご紹介させていだきたいとおもいます。
その言葉とは、
『私たちは、異なるのだから。』
本文中に度々出てきている言葉でが、最後の方にはこのような文面がありました。
もちろん私はいいと思ったから、シュタイナー学校で教えることを選びました。
でも、それは私の選択なのです。
同じじゃなくても大丈夫、なのです。
私たちは、異なるのですから。
今の私に、とても刺さる言葉でした。
というのも、この話も何度かnoteでしておりますが、
hona、9月から少し生活が変わる予定なのです。
まぁ一言でいえば、お仕事をさせていただく予定になっています。
我が子との関わりを大切にしたいと、この2年半過ごしてきた上での、この決断。
色々な出来事や、考えることがあって、自分で『働く』ことを選択したわけですが、それでも、
やっぱり働かずに、もっと子どもと一緒にいる時間を持ったほうがいいのかな
と、悩んで迷って、いました。
働く時間、子どもとの時間。
天秤にかけたいわけじゃないけど、限りある人生の時間をどう割り振るかは、結局、決めなきゃならない。
働くことを選んだ結果、子どもとの時間が犠牲になる、とも言えてしまう。
本当に私はこれでいいの?
他のお母さんたちは、子どもと一緒にいるのに…
と、ぐーるぐる考えていました。
そんな時に出会ったのが、先程の言葉。
私たちは、異なるのですから。
そうだった。
私たち人間は、みんな、異なるんだと、改めて気付かされました。
だから、私は私の心の声を聞いて、私の幸せを追い求めて、人生を選んでいいんだ。誰になんと言われようと。
もしそれが、やっぱり違ったと思えば、その時に修正すればいいんだ。
私たちは、誰かと同じだとどこか安心するけれど、異なることもあっても全然大丈夫だし、それは当たり前のことだと、言い切ってもらえた。
著者のドーリスさんの言葉に、勇気をもらい、
自分の選択を尊重しようと思うことができました。
さらには、私も誰かの決断や選択を、決して反対するのでなく、受け入れること。
『私たちは異なる』ことを、理解して認め合うこと。
そうした態度や声がけが、相手を勇気づけ、応援することにつながるかもしれない、と合わせて、感じました。
というわけで、こちらの本は、シュタイナー教育にご興味がなくとも、
すべてのお母さんそしてお父さんに、心からお勧めする一冊です!!
是非お手に取ってみてください(*^^*)
では今日はこのへんで!
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
hona