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空気を読む
自分はあまり空気は読みませんが、コロナ禍においては良きにせよ悪しきにせよ考えなければならないのかもしれません。
このノートで「根拠」とい文章のなかで、客観的な数値に基づく話を少し書きましたが、実際算出基準の明確化も必要ですが、それ以上に感覚の問題は大きいのかもしれません。
くれぐれも勘違いされたくないのですが、自分が住んでいるエリアは千葉市緑区です。コロナ感染者の噂はあれど檀家さんも含め、マスク着用、三密を防止という意識はありますが、道の草刈り掃除などには村全員が参加しています。
しかし、茂原の代務寺院では、近隣に感染者が出たことで、墓地掃除も役員さんのみで行うに変化しました。どちらが良くて、どちらが悪いというのではなく、村や町、年齢などで温度差があるということなのでしょうか?
都内も含め全国的にコロナの感染者も増えてきています。今後の展開を注目していく必要があると思います。
コロナ禍におけるつながり
何度かこのノートでも書いたが、「ツナガリイム」に参加した。その後、熊本で豪雨災害が起こった。この「ツナガリイム」の関連でクラファンができ募金したが、このつながりを維持することが、今後の寺院の保険の役割をするのではないかと期待している。
募金されたお金が、被災寺院(「ツナガリイム」参加寺院)に渡り、その寺院周辺の檀家さんや住民になにがしらの物資や食料に変換でき、その寺院の意義を地域住民や檀家さんに感じてもらえれば、つながった意味はあるし、もし自分の寺院は被災した時には、気兼ねなく募金をお願いできるのではないだろうか?などと考えた。
寺院を我々はついついハードの面に目が行きがちであるが、本来寺院はソフトが大事なんだと思う。人間関係やノウハウといった目には見えないが、社会貢献につながるものこそがこのような時には財産になる。
『孟嘗君』
孟嘗君でも、食客の活躍のなかで、孟嘗君が一人の食客に証文を持たせ借金の返還の仕事を依頼する。その折、孟嘗君は食客にお土産として自分の持っていないものを手に入れてくることを依頼する。
食客は領地で証文を焼き、借金をチャラにする。孟嘗君には君はお金持ちなので信用を買ってまいりましたと述べる。孟嘗君は怒る。数年後中央政権で権力を失った孟嘗君は領地にかえるが住民が町を出て皆で道沿いに立ち孟嘗君を出迎えたという話がある。金では手に入らないものすなわち心を食客は手に入れてきたという話である。
通常の信用を買うという行為は大事ですが、非常時の信用は高いとは思う。そういう意味で今回の寄付行為はものすごく意味があると思う。
もちろん募金の受け手になる寺院も責任が重いし、うまく運用するためには住職の人間関係も必要になろう。自分も地域社会にあてになる存在とならないと非常時には役に立たない。そういう意味で日々が大事だと思う。