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自然淘汰
長谷川真理子さんの
を読んでいたのだが、途中で春休みの息子に遊び半分で見せてみると、面白い。読みたいと言われて貸している。半分読んでかなり面白いところで…春休みが終わればキッチリ読みたいところ。
さて4月1日付の読売新聞には、脳科学者 池谷裕二さんと国際政治学者 細谷雄一さんの対談が乗っている。オンライン会議が増え、人感での接触がへり、国際政治学者のツイッターが攻撃的になっているというのだ。
そもそも一万年前にくらべ人間の数は増大し、密であり、感染しやすい環境である。
新しい生活様式への変化は、いままでのコミュニケーションを得意とする人優位から、ネットで引きこもる、引きこもれる人が優位に変わった。
国際政治は均等化が大事で均等が崩れるとうまく行かない。人間と自然も均等化が大事だったが、それが崩れたときウィルスが蔓延したのでは?とのべている。
池谷さんはウィルスが人間にとってなんのためにあるかわからないと述べていますが…
先に上げた進化の本を通して考えると、自然淘汰には目的はないと述べている。
しかし、今回のコロナの問題は、動物の多様性を失ったことが原因の一つで、他の動物のウィルスが人間にお引越ししてきたのではないか?という考え方が、『コロナの時代の僕ら』には書かれている。
ある種の人間が増大し、地球の多様性を減らし、勝ち組にはなったが、地球そのものが枯渇しはじめている。あたかも地球に排除されようとしているかのようである。人間の欲望の大きさが、地球の規模を超え始めたということではないだろうか?
ここ一年でもっとも注目された一冊は
であり、同様の思考で資本主義の限界を述べているものは多い。ここから先、人間が生き延びるためには、欲望を制御する必要があるとの考えであり、自然と対立するのでなく、自然の声に耳を傾けることがもとめられている。とすれば、仏教とくに草木成仏を説く日本仏教の思考は大切となろう。
具体的な方法はまだ見えないが、本当に必要なものは何か?を考える機会をコロナは与えてくれているのかもしれない。