いちばん高い塔の歌

新年初めてのフランス詩の講座は、
アルチュール・ランボーの「いちばん高い塔の歌」
“Chanson de la plus haute tour”を学んだ。
ポール・ヴェルレーヌにパリに呼ばれたランボーが、
失望して故郷に帰って詠んだ詩だ。
フランスの研究者の間でもいろいろな解釈があり、
どのように訳すかは訳す人にかかっている。
この詩を学び自分なりに解釈したものを記したい。
あくまで個人的な解釈であることをお許しいただきたい。


「いちばん高い塔の歌」

あらゆることに屈した
無為に終わった青春、
ナイーブさによって
ぼくは人生を失った。
ああ!時よ来てくれ、
心が燃え上がるような。

自らに言った。放っておいてくれ、
ぼくのことなど見ないでくれ、
より大きな喜びがあるという
どんな約束もなしに。
いかなるものもお前を止められない
堂々なる退却なのだ。

永遠に忘れるために
ぼくはこれほどまで我慢した、
怖れと悲しみは
大空に飛んでいった。
そして不健全な乾きで
ぼくの血管は黒ずんだ。

草原はそのように
忘却に委ねられており、
大きくなって、
お香と毒麦の花を咲かせる、
無数の汚ならしい蝿が
暴力的な羽音を立てている。

ああ!かくも憐れな魂の
無数の独り身の男たちよ、
お前たちは聖母マリアの姿を
心に描くことしかない!
ぼくたちは聖母マリアに
祈りを捧げるのか?

あらゆることに屈した
無為に終わった青春、
ナイーブさによって
ぼくは人生を失った。
ああ!時よ来てくれ、
心が燃え上がるような!


ヴェルレーヌに才能を認められ、
パリの詩人たちと交遊したランボー、
何が彼をいらだたせたのだろうか?
田舎臭い素行の悪さとみすぼらしい身なり故に、
つまはじきにされ心傷ついたランボー。
なんの喜びも見いだせず、放っておいてくれと、
やせ我慢しながら胸を張って故郷に戻る。
しかしその故郷は以前とは異なり、
自然は荒れ果て、糞で汚れた牧場と化していた。
孤独なランボーはもはや聖母マリアに祈ることしかできなかった。
ふたたび心燃え立つような時がやってくることを!