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フラペチーノが頼めなくて 春

「もう一度よろしいでしょうか」

緑のエプロンをまとい、満面の笑みで
彼女は私に問いかける。

透明なアクリル板ごしにその言葉を
投げかけられ、戦意を失う。

「ドリップ、ホット、トールで」

いつものブラックコーヒーを頼む
必須の3条件を少しテンションを落として伝える。
彼女は微笑みながらうなづくと、
その場ですぐにそれを出してくれた。

読者のみなさんはフラペチーノを
ご存知だろうか。

知らなかったが、
あのスターバックスが考案した
登録商標商品だそうだ。

その中身は、
このように定義されているらしい。

フラペチーノとは、コーヒーやクリームなどに氷を加えてミキサーで撹拌し、フローズン状にしたもの。クリームのなめらかさのなかに、しゃりしゃりとした氷の食感が合わさったドリンクです。

普段飲み物は甘いものは
ほとんど飲まない。
ブラックコーヒーか、
無糖のカフェラテぐらいなものである。

ただ抹茶やコーヒーをシャリシャリした
氷の食感とクリーム。
いつも見るメニューの写真は
どこまでも色鮮やかだ。
普段あまり甘いものには目もくれない
自分がなぜかどうしようもなく惹きつけられる。

一部の男性読者には
共感いただけるかもしれない。

そんなにクラスで人気が
あるわけでもないのに、
なんか気になる女子っていなかっただろうか。

「好き」とかの感情以前に、
あの子だったらこんなときに
どんな言葉をかけるだろう。
そこが気になって離れない。

そんな興味を抱く時期が男にはある。
少なくとも私にはあった。

私にとってスタバのフラペチーノは
長年そんな存在だった。


いつもよく行くスターバックスのテラス席。

意識高い系のお兄さんたちがMacBookを
開きAirPodsで「オレ様の世界」を
満喫して、その隣のテーブルでマダム達が
旦那さんのグチと子供の受験の話題
に花を咲かせている。
そして初老の爺さんが、折りたたみの
携帯電話で大声でまくしたてている。

春はもうすぐ。
日本はまだいい意味でも、
悪い意味でも平和だ。

そして同じくいつもの風景。
フラペチーノ女子達の登場である。

いつも近くに座った見知らぬ先輩女子の
嬉しそうな表情がフラペチーノの
魔力を私の穏やかな心に刻ませていく。
その想いは日々増長していくばかりだ。

いつか自分も注文してみたい。
チャレンジしてみたい。

そう強く願うようになったのだ。

思春期とフラペチーノの自意識の壁

フラペチーノをオーダーすることを
チャレンジなんて
こいつはいったい何を言っているんだ。

きっとそう思ったに違いない。

そう、私は未だにスターバックスで
フラペチーノを注文したことがない。
できていない。

そこには
最後まで自分の自意識のカケラ
を破れない中年男子の性がある。

「男なんだから、泣いてはいけない」

「お兄ちゃんなんだから、
しっかりしなきゃダメよ」

「男の子なんだから我慢しなきゃね」

そんな「男らしくあれ」という
メッセージを強烈に受けて育った。

これは私自身の人格形成において、
「女々しさ」を排除する教育を意味していた。

男の子=かっこいい、たくましい
女の子=かわいい、なんかキレイなもの
    なんか守らなきゃいけない

「なんか」という枕言葉をつけているのは
未だにわかっていないから。
女心と秋の空とは昔の人はよく言ったものだ。

私の幼少期は「男らしくあれ」とのイメージ
エネルギーを増長していたものだった。

某男性グループが歌う「女々しくて」という
曲が大ヒットするずっとずっと前のことである。

やがて少年の「男らしくあろうとすること」
は、思春期を迎えるにあたり、
どこまでも異性の目を
意識してしまうことを
意味するようになる。

ほとんどの男子はこの異性の目の意識を
知らず知らずのうちに克服していく。
さまざまな経験を通じて。

だから渋谷で堂々と歩く女性たちに
声をかけてナンパする男子は絶対に
絶滅しないし、不倫がバレた記者会見でも
堂々と泣きながら謝れるタレントも
いるのだろう。

さて、ただこの「異性から見られている
自意識」を克服できていない。
もしくはその自意識に縛られている
こじらせ男子も少なからず存在する。

自意識をこじらせた男子の末路

フラペチーノの話に戻ろう。
スタバの女性店員は、毎日カウンターで
無数のオーダーを処理している。

私の幻のフラペチーノのオーダーも
当然その一つになるのであろう。

そんな客観的な事実を俯瞰できるように
なっても、こじらせた自意識が
オーダーをためらわせる。
なんとなく恥ずかしい、
でも飲みたい。
こんなにあんなにシャリシャリとした
甘い食感を求めているのに。

男性店員のときに頼めばいい。
モバイルオーダーを使えばいい。

そんなアドバイスも私の前では無力だ。
商品の受け取りの場面を想像しただけで
なぜか首筋にかゆみを覚える。

中年男子がフラペチーノを頼むこと。
全然おかしいことじゃない。

スイーツ男子なんていう単語が出てきた
時代だ。
甘いものを男子が注文することに疑問を
抱く人もいない。
ただの筆者の偏見であることは言うまでもない。

でも一歩を踏み出すことができない。

幼い頃に植え付けられる結果になった
自意識、「男らしくあれ」と。
たとえそれがちっぽけなくだらないプライドと
置き換えられるものであったとしても。

いつも
「ドリップ、ホット、トールで」
とショートではなく、
ワンランク上のサイズ
を言ってしまうのもその現れだろう。

私も同じように、
「男らしくあれ」に縛られて
人生を苦しくしている人はいないだろうか。

それは幼少期に取り入れられた価値観や
環境によって与えられてしまったもの。

私のフラペチーノのレベルならまだいい。
たかがフラペチーノ、されどフラペチーノ
だけれども。

肝心な時に自意識が邪魔をする。
勇気もそれを言う気も出ない。

•素直に大切な人に想いを告げられない。

•辛いときに「苦しい」って言って
人前で泣けない。助けを求められない。

•相手にNOと言えずに自分が我慢をする。
貧乏くじを引く。

そんな男子が一定数いるのではない
だろうか。

こじらせのレベルによっては、自分の
将来の孤独をただ増幅させるだけの
不発弾になっている可能性がある。
暴発する末路は避けなければならない。

この「中年男子の自意識時限爆弾」
の解除方法を知っているのは
私とあなたも含めてまだわずかだ。

一ミクロンでも共感してくれる人が
いたら、一緒にブレーキを外すの
手伝ってほしい。

さぁちょうどブラックコーヒーを
飲み終わったので、まずは
どこかへ飲みに行こう。



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