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徒然草
新型コロナが流行し出した頃、コロナ禍下で読むべき本、としてカミュの「ペスト」が大流行していました。
私は、この本のあらすじは知っているものの、読んだことはありません。
これが出たとき、どうして、この本なのかなぁ、日本にも良い本があるのになぁ、と思いました。私の耳に入らなかっただけかも知れませんが。
感染症、対、ヒトといえば、私は、一番に上橋菜穂子さんの「鹿の王」を挙げます。
このファンタジーは、犬を媒介して蔓延した病と、その病魔に犯されながらもそれと共存して生き抜く人々、そして、その病を根絶しようとする人々、その菌を国家間の争いに利用する人々が描かれています。それは全て医学的な根拠に基づき描かれているため、私はファンタジーの力を利用した医学書として読みこみました。
作家の方の中には、書くべきことが天から降りてくるという方もいると聞きます。上橋菜穂子さんも、ご本人のあとがきを読んだら、あるイメージが頭に溢れ出てきたことをきっかけに物語を産み出されるとのことです。しかしながら、降りてくる言葉をそのまま書くだけという方もいますが、上橋さんの場合については、完全に産み出せるまでの苦しみがあるというところに私自身は物語の奥深さを余計に感じます。
上橋菜穂子さんは、この物語を書くことになった経緯を次のように綴られています。
『鹿の王』の場合は、「人は自分の身体の内側で何が起きているのかを知ることができない」ということ、「人(あるいは生物)の身体は、細菌やらウィルスやらが、日々共生したり葛藤したりしている場でもある」ということ、そして、「それって、社会にも似ているなぁ」ということ、この三つが重なったとき、ぐん、と物語が生まれでてきたのでした。
今、私たちが直面していることについても、真実を少しでも知り得ている人は、この「鹿の王」と同様に、その菌を根絶しようと奮闘されている人々、政治家等なのかも知れません。そうすると、私たちは、何が嘘か本当かも知らずに翻弄されているのかも知れません。
コロナの変異種等も現れ、菌の情報を追うことも難しくなっている今、菌と共生する道に進まざるを得なくなるのかも知れないとふと私が感じたりする中、その「鹿の王」の続編が既に出ていたことを知りました。(しかしながら、大切な人や、他の方々に感染させないよう、コロナへの自衛は絶対に必要だと思います。)
それは、「水底の橋」という本でした。上橋菜穂子さんの本は登場人物も多く、特に今の時期、病を扱うテーマになると、本当に重く感じ、読み始めるのに決心がいります。そこで、まずあとがきだけを読んでみました。そのことを書きます。
詳細については記載されていませんが、ある医師から「逆転の発想」ともいえる続編への発想を頂いたとのことで、次のように書かれていました。
医者が治療しても効果が現れなかった患者を、医者ではない男が診たら症状が改善したというエピソードで、そんな不思議なことが実際に起きた理由は、新薬での治療を試みた医師とは違い、その男は何もしなかったからではないか?という仮説でした。
知らないということは、本当に危険ですので、安易に自身や他者の治療をすることは決してはいけないことだと思います。しかし、知見があっても治療には結び付かない現実もあります。そして、国も正しい方向に向かっているのか、イマイチよく分からない現在、難しいことですが、一人一人が物事を知ろうとして、治療や生きていくのに必要なものを自身で取捨選択をしてゆくのが良いような気がしてなりません。
さて、話は変わります。次は、noteについてです。
数ヶ月noteをしてみて感じたことですが、書きたいと思うこともあれば、書くという気が起きず、無理矢理書いていることもあります。
書けるときは、言葉がどんどん浮かんでくるのですが、書けない日は、言葉を寄せ集める感じです。
でも、どちらの文章が良いのかは、多分、私は前者ではないかと思っています。まだまだ拙い文章ですが、しかし、拙なければ拙いなりに、私自身、その日の自分のコンディションに大きく影響されます。
noteは、本当にクリエイターの方がすごく多いので、私自身が面白いとか、意欲的に読みたいと向かっていける方を見つけるにも、すごくエネルギーが必要となります。
まだまだ駆け出しではありますが、「あ、この人のいいな」と思うのもあって、そういう方々の文章は成熟してはいるものの、私が、その文章を書く日のコンディションにすごく影響されるため、その方々も少なからずそうだろうと勝手ながら思ったりします。
そうすると、やっぱり直近に書かれたものだけでなく、過去に遡っても読んでみたくなるのです。
noteを始めてほんの間もない頃は、ただ参上しました、っていうマークのつもりでハートをつけていたのですが、でも、その履歴って、そのクリエイターさんには、ずっと残るわけではありませんよね?もちろん、押してくれた総数では残りますが。
でも、自分のページには、ダルマの目のように赤く塗られたハートが履歴として残るんです。だから、ゆーっくり、ですが、いつか、あなた方のページ、読破してやりますよ、っていう、読んだ履歴?というか、自己満足に近いのでしょうが、そういう感じで、最近はハートをつけるようにしています。
みなさま、いつもありがとうございます。
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