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どうする?負動産の実家シリーズ

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築100年超。限界集落にある負動産の実家。父の認知機能低下がわかった2014年から、片付けはじめ、イベントに貸し出すなど、実家じまいを進めていきました。田舎あるある体験を含め、山…
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記事一覧

どうする?負動産の実家39 「最後に残ったもの」 とんど焼の思い出をたどる。

父が亡くなり、2023年に実家の土地や畑を手放したあと、私に残ったのは、山中の70㎡ばかりの土…

hoho
1か月前
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どうする?限界集落、負動産の実家1

わたしは、現在50代。 関西地方の田舎町に生まれ、結婚してからは都市部に住んでいます。2016…

hoho
6か月前
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どうする?負動産の実家2 父が倒れた!

父が脳梗塞で救急搬送! 遠距離介護も限界を迎えていた2016年10月末。父が「左腕が動かない」…

hoho
6か月前
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どうする?負動産の実家3「姉妹の合意」

父の緊急入院、脳梗塞からの経過 2016年11月。 脳梗塞の発作で入院した父は、当初は体のバラン…

hoho
6か月前
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どうする?負動産の実家4「遠距離介護」

実家片付け。姉妹で合意しておいたこと、わかっていたこと 2016年11月。父が脳梗塞で倒れて、…

hoho
6か月前
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どうする?負動産の実家5「実家の姿」

遠距離介護でわかった実家の不具合、限界集落の実態 2014年の夏からはじまった遠距離介護は、…

hoho
6か月前
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どうする?負動産の実家6「この家には住めない」

おとうさんの物忘れがはじまって半年。 2014年10月に介護認定も受けて、ヘルパーさんの派遣がはじまり、わたしたちの遠距離介護、遠隔操作介護がはじまりました。一番近いスーパーでさえ、峠を越えて車で20分。帰省のたびに、その不便さを実感するようになりました。 車がなければ、買い物や医療へのアクセスを含め、あらゆるものから見放されているような気がしました。 あるだろうと思っていた生協さんの配食サービスでさえ、配達区域ではないと断られたのです。 わたしたち姉妹の共通の認識

どうする?負動産の実家7 実家じまい

実家じまいと周囲の反応。 2016年11月。 救急車が来たことで、父の入院は近隣に知れ渡っていた…

hoho
6か月前
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どうする?負動産の実家8 父の仕事

父の代わりに、父の終活をする 2016年に父が脳梗塞で倒れる前、 物忘れがはじまっていた2014年…

hoho
6か月前
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どうする?負動産の実家9 父の仕事場

自営業の廃業にともなう、建物・設備の廃棄 父の物忘れが急に目立ち始めた2014年。 父を実家…

hoho
6か月前
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どうする?負動産の実家10 がん保険解約?

父の生活インフラの改善 OR 縮小 2014年夏、父の物忘れが目立つようになってから、父の様子に…

hoho
6か月前
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どうする?負動産の実家11 運転やめて

実家じまい 4・運転免許の廃止と自家用車の処分 2014年に父の物忘れが進んでから、なんとか運…

hoho
6か月前
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どうする?負動産の実家12 免許バトル

父の運転免許の更新期限ハガキを見せないようにし、更新期限が過ぎた直後に帰省し、父に、 「…

hoho
6か月前
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どうする?負動産の実家13 父の友達

父の人間関係の把握と継続 OR 縮小。 ・父の人間関係 親がそれまでの状況と変わったとき、子は、どれだけ親の人間関係に入っていくものなのでしょう。父が田舎で一人暮らしをしていたので、結果的にかなりその人間関係に助けられましたが、線引きが難しいものだと、気疲れしたのも事実。他の姉妹は、引き気味でした。 ・父の同窓会の幹事はわたし? 生まれた場所で、人生の多くを過ごしていた父。小学校・中学校・高校の同級生が近くに住んでいました。にぎやかなことが好きな父は、よく同窓会の幹事をし