どうする?負動産の実家10 がん保険解約?
父の生活インフラの改善 OR 縮小
2014年夏、父の物忘れが目立つようになってから、父の様子にあわせて、生活インフラの整理をはじめました。それまでは、父が自分の意思とお金で契約していることに、わたしたち姉妹が口を出すことはありませんでしたが、
必要に応じ、ギアチェンジをすることにしたのです。
・携帯電話の解約 2014年12月
自宅電話のほかに、携帯電話を持っていた父ですが、充電を忘れるので、実際には数年、まったく使っていない状況でした。
「持ち運ばない携帯電話って、絶対、要らないよね!」
と、父を連れてK市の携帯電話会社に解約にでかけました。反論もなかったので、ほんとうに不要だったのだと思います。基本的に契約者本人でないと、解約手続きができないので、高齢者の場合、子世代が契約者になる方が、何かと便利だと思いました。
・自宅ネットの解約
ローカルなインターネットプロバイダで契約をしていましたが、父は、時々PCで検索しているだけで、2014年にはまったく使われていませんでした。解約しても、父は解約したことに気づきませんでした。
・がん保険の解約
父はがん保険に入っていて、月々1万円以上支払っていました。父の物忘れの悪化が月を追うごとに確実になり、姉妹のひとりが、がん保険を解約しよう言いました。
ひとつには、父の年金1/6を、がんに限った保険に費やしたくないこと。もうひとつに、人の体は、認知機能と肉体が、同じ速度で劣化していく方が良いという考え方です。積極的にがんの検査はしない。がんがわかっても、積極的な治療で、肉体だけを長く保つことはしない。緩和療法のみであれば、がん保険は必要ないのでは?
一見、残酷な気がしました。ただ、姉妹が、がんの義父母を看取ったなかで、高齢者の入院によるリスクを体感したことなので、了解しました。
保険は保険でしかありませんから。
のちのち、父の最期を迎えるにあたっても、この考え方がわたしたち姉妹の共通の認識になりました。
・配置薬のひきあげ
これは田舎あるあるかもしれませんが、
実家では、富山の配置薬業者が、年1回やって来て薬を置いていきます。
父は、病院でもらう薬以外に、この配置薬を好んで常用していましたが、
飲んだことを忘れるので、一時に大量に飲んでいても気づきません。
帰省日程を業者さんがくる日に合わせ、引き上げてもらいました。
実家にある市販薬も、数量を限って、おいておくことにしました。
・政党新聞の停止
父はある政党の新聞を読んでいました。
これは、ある個人が、
何を信じて応援するのか?応援しているものにお金を注ぐのか?
という行為なので、勝手にやめるわけにはいかず、
2016年に父が入院するまで購読し続けました。(入院時に解約)。
物忘れが進んでも、
父がその政党を応援することに変わりはなかったでしょうから。
通常の新聞も2016年に入院するまで続けています。
こちらはもっぱら、父の安否確認でした。
近所の人が、父が新聞を取り込んでいるかどうかで、自主的に安否確認をしてくれていて、新聞がポストに残っていると、声かけをしてくれていました。本当にありがたいことでした。隣近所が密につきあっている、田舎ならではのことだと思います。実家じまいの続きは下記より。