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どうする?負動産の実家39 「最後に残ったもの」 とんど焼の思い出をたどる。
父が亡くなり、2023年に実家の土地や畑を手放したあと、私に残ったのは、山中の70㎡ばかりの土地。先日「とんど焼」があったので、その場所のことを思い出しました。
その土地は、集落のはずれにある山道を分け入って10分ほど歩いたところ。暗い山の中にある傾斜地で、杉林と竹藪の下に沢が流れています。
子どもの頃
正月の三ヶ日が過ぎると小学生たちは「とんど」の準備をはじめます。年長のお兄さんに連れられて集落の家々を廻り「明けましておめでとうございますー!とんどのしめ縄くださーい!」と言って、門松や正月飾りを集めるのです。慣れたら一人で廻り、おばあさんに「あれまぁ~小さいのに」と言われて、お菓子をもらったりしていました。
それがひと通り済むと、お兄さんに連れられて山に入り、落ちている杉の枝を拾い集めます。「とんど」のやぐらの元になるのです。小学二年生になって、山に連れて行ってもらえるようになった時は、興奮しました。
一度連れて行ってもらったから、今度は一人で行ける!そう思って一人で山道を歩き始めたら、景色がまるで違ってみえました。山全体が暗く、木道は濡れて滑りやすいし、どのぐらい歩けばあの沢に辿り着けるのかわからない。「ガサガサっ」という物音にぎゃぁーーーーと叫び声をあげながら引き返しました。
1月15日午後。父や近所の人が、竹を切りだしてきて、河原に大きなやぐらを組み上げました。わたしたち子どもが何日もかけて集めた正月飾りや杉束は、あっという間に隠れて見えなくなってしまいました。
日が暮れて集落の人が集まってくる頃、大人たちがやぐらに火をつけます。乾燥したやぐらはものすごい勢いで燃え上がり、囲んだ人の顔を赤く照らしました。竹がバチバチはぜる音も怖くて、子どもの頃は近寄りがたかった。だんだんやぐらが小さくなり、熾火になってきたら、杉の小枝に刺したお餅をあぶって焼きます。これを食べると一年健康で風邪をひかないと言われて、よく風邪をひくわたしは、せっせと焼いて食べていました。
限界集落の山林。
わたしが子どもの頃はまだ山守さんがいて、倒木を片付けたり、成長した木を伐採したりと、山には人の手が入っていました。
2023年家を手放したあと、残った土地をもう一度見たくて山に入りました。昼なお薄暗い山道は、今では人も通らず、朽ちた木道もそのままになっています。杉の倒木は倒れるに任せて山道までせり出して、行く先を塞いでいました。もう下の沢に降りる道はなく、(降りれれば目印になる岩があったのですが)わたしの土地はここだと確かめようもありませんでした。
家や畑を手放した時、町役場の人に「山を寄付できないか?」と相談したら、受付ていないと言われました。「この土地だけなら、そのまま持っていても、固定資産税がかからないですよ(それぐらい価値がない)」と言われ、所有したままになっています。
わたしが死ねば、娘に相続義務が発生するんだろうなぁとわかっていますが、今のところ打つ手はなく。
先日、「帰れない山」というイタリア映画を観て、原作本を読みました。実家のような限界集落が舞台で、都市から夏休みにやってくる少年一家と、村の少年との出逢いを描いた物語です。その記事はこちらより。
この物語に心が揺れたのは、わたしが過疎の村に生まれ、大きな休みに都会から遊びにくる従妹を待って、村のあちこちを案内したことや、山で山菜を採ることを教え、川でゴリを掬ったり、岩場から飛び込んだりして遊んだ思い出のせいかもしれません。
輝く夏の山河と、人を拒む冬の厳しい暮らしの記憶をたどる縁に、70㎡の土地が手元に残ったのかもしれないと思う今日この頃。まさに「帰れない山」です。