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どうする?負動産の実家4「遠距離介護」

実家片付け。姉妹で合意しておいたこと、わかっていたこと
2016年11月。父が脳梗塞で倒れて、不在になった実家を片付けるにあたって、姉妹で合意していたことは、

1・今後、父は実家で一人で暮らすことはできない。
2・この父名義の実家は、父が死ぬまで売ることはできない。
3・わたしたち姉妹は、この実家に戻ってくることはない。
4・この実家を放置しておくことはできない。
5・決して負動産にしない。

ということでした。これは、2014年6月に父の認知症の症状がはじまってから、2016年10月末に入院するまでの間に、姉妹の間で次第に固まってきた意思でした。

ちょうどその頃、スマートフォンを使いはじめ、LINEで姉妹がつながったので、常に情報共有していました。

もう父を一人にしておくことはできないけれど、父から施設入所を断固拒否されている時期、姉妹の誰かが、1か月に1回実家に帰り、3,4日滞在してやっていたことは、

1・ヘルパーさんやケアマネさんと打ち合わせ。
(気をつけてもらいたいことなどを手紙に書いて伝えることも)
2・食器棚の引き出しに入れた買い物代を補充すること。
(ヘルパーさんが買い物・食事作りをしてくれ、レシートと引き換えに現金を持って帰ってくれます)
3・近所の人や、近くに住む叔母に顔をみせ、父の様子を尋ねること。
4・かかりつけ医にゆき、薬をもらって、カレンダーに貼り付けること。
5・父宛の郵便物の確認、対応が必要なものの処理。
6・布団を干し、シーツなどの寝具の取り換え。
7・燃料の補充や、ヘルパーさんが来ない日の食料のストック。
8・使わない畑や、庭の雑草管理。
9・隣組の人足や町内会費の納入、檀那寺とのおつきあい。

おおまかには、以上のようなことでした。こうして遠距離介護がはじまり、
毎月、姉妹の誰かが帰省するなかで、改めて気づいたことがいくつかありました。

改めて気づく限界集落の暮らし、実家の不具合。つづきは下記で。


当時 父の情報を整理するために使っていたノート

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