私は広島にいる
近頃自分の時間を持つことが増えた。
どういうことかと言うと、今まで時間がなくて後回しになっていたことをやってやろうという時間が取れるようになっているというだけだ。最近では家にいる時はあらゆる作業を中断して全ての気力を集中させてドリップコーヒーをいろんな条件を試しながら何杯か入れてみたり、部屋の模様替えをしてみたりしている。またふらっと外に出て、根の谷川の流れを見ながら川の流れに逆らって歩いてみたり、あてもなく路地を歩いてまだ見たことのなかった街の様子を細かくマッピングしている。
広島で動き始めてからは広島のことを知るために食べ、歩き、働き、気付いたら3年が経過しようとしている。県外に出る用事があり、広島戻ってくることを、季節を重ねていくにつれて「帰ってきた」と感じることができるようになってきた。明確なその区切りはなくて生活は連続しているというのに何がそうさせたのだろうか。
広島の生活には随分前に慣れてきて、それでも日々の生活や、音楽活動でたくさんの街や人と出会うことで、まだ知らなかった発見や無自覚な享受を自覚的なものにしていき、自分なりに広島という街に色塗りをしてこられている。その色塗りの捗り具合をみてようやくこの街を捉えることができてきたということなのだろうか。
紛れもなく僕は「よそ者」としてやってきたわけだが、最近は「よそ者」というのは自分が口にしているラベルに過ぎなくて、広島で出会った人たちは僕のことをしっかり広島県民として見ているし扱っている。確かに出身がどうであれ広島で出会った広島在住の人間であるのだからまったく違いないことだ。
「これまでに色々な場所に住んでて今はなんやかんや広島県民です」これからはこんな感じでやっていけば十分かな。属性はたくさんあればそれだけ話の種になるしなんだか楽しそうじゃん。というだそれだけでいいのかもしれない。うーん。地元を含めて4県目の居住地にして自分の立ち位置の柔軟な受け入れ方を考えることができるようになった。ということにしといてもらおう。