せうりく
なるたけ毎週水曜日に私の自室からお届けする(という体で気まぐれに更新する)、こぢんまりとした思索と妄想のエッセイ。
みじかい小説たち。
あのころの回想エッセイ。
非存在のあなた、ご機嫌いかが。こちらはぼちぼちです。 人生における目的喪失防止のために始めたnoteをほっぽって早3ヶ月が経とうとしているこのごろ。 相変わらず出来損ない人間の私の精神は死を求めて迷走を続け、日記に呪詛の言葉を吐いたり、ギターを叩いたり、亡き祖父の部屋を漁ったり、並行世界の将棋を考えてScratchでプログラムを組んで遊んだり、葬式の時に流したい曲のプレイリストを作って布団で横になって聴きながら号泣したりしていたらnoteの更新なんてとてもできない状況
無気力の病が脳全体に浸潤してきたので、今後は「週刊自室」を不定期更新にします。何卒。(おれは中卒)
理由のない希死念慮に悩まされている。自死というのは他の選択肢が潰えたときの最終手段であって、私のような普通に生きていられる身分の人間が考えるようなことではないはずなのに。 けれどもなお自死という考えが頭の中をうろつくのは、おそらく私が平凡すぎる、あるいは私が、ある一点において正統でない考えを抱いてしまっているということなのだろう。 私の生活には、これといった楽しみがない。なにかを楽しみと見做す力がない、といった方が正確だろうか。 決して無趣味なのではない。アパートの自
栴檀は双葉より芳しと言いますが、私は栴檀ではないので今週の「週刊自室」はお休みです。かわりにみじかい小説を投稿します。
とても天気がいい日に、図書館へ行きました。 散歩ついでに、なにか面白い本を見つけられたらいいなと考えていたのですが、いろいろと棚を物色しても、驚いたことに興味とか好奇心とかいうものがすこしもわきません。 知っている作家や作品を見つけても、ちょっと読んでみようとか、手に取ってみようとか、そういう気持ちがいっさい起こらないのです。 ああ、心が弱っているなと、そう思いました。 結局、なにを読めばいいのか分からずにそのまま帰ってきてしまいました。 こんなになにもない生活
精神科医の斎藤環氏は『社会的ひきこもり』において、ひきこもりはある種の未成熟の表出であると指摘している。 ひきこもりの多くは男性だ。ジェンダー規範は男性に万能さを求め、「去勢否認」の教育システムにおいて男性は、「万能である」という錯覚と「万能でなければならない」という圧力に浸される。 そうして男性は、成熟の機会を経ずに大人になってしまうことがあるという。 耳の痛い話だ。 当然のこととして、世界は自分の都合のいいようには作られていない。 一人の人間が一生の中ででき
大学に進学することが人生の常道であると信じて生きてきました。 自己の専門性涵養機構、あるいはモラトリアム延長戦試合会場こと、大学。 経済的余裕があるならとりあえず進学しておいて損はないらしい、とまことしやかに囁かれていることだけなんとなく把握しながら、それとなく中等教育を甘受する日々を送ってきました。 高校はなるべくいいところに通ったほうがいいだろ、と考えながら中学校で勉強し、大学はなるべくいいところに通ったほうがいいだろ、と考えながら高校で勉強していたのですが、な
『道徳形而上学原論』(カント著)の一節を引用している『ドーパミン中毒』(アンナ・レンブケ著)の日本語訳(恩蔵絢子訳)中の一節(p.161ー162)です。 つまり一点の曇りもないひ孫引きです。もうなにがなんだか。 『ドーパミン中毒』は、日常に潜むさまざまな依存症の脅威と、それらから脱出する方法について説明している本です。 このカントの引用は、性依存症から脱出したある患者が「その新しい生き方によって束縛されていると感じるどころか、自由を感じて」(p.161)いる様子を指
心がひどく抑うつ的になると、本を読めなくなることがある。 文字を見て意味を理解するという行為が心底億劫で、やっとこさ本を開くことができても、数行だけ読んだところで身体が処理を拒絶してしまう。 本を読むのは、とてもむずかしい。 意味の続いた長い文字列を、物語であれ論考であれ、ひとつの体系として理解するには高度な情報処理能力が求められる。慣れも必要だし、読み手としてのコンディションも重要な条件だ。 長らく読書という行為に対して苦手意識を抱えていた僕がようやく本を読む
まったく理不尽な世界だ。めくらましで人々から金を吸い取って立ち上げられたニュース番組は連日、某国の軍がクーデターを起こしたというのではしゃいでいる。 無辜の民に振り撒かれる、際限のない暴力。それは自力で避けることができず、抗うことも許されないという点で最も象徴的な、百点満点の暴力だった。 しかし、この世界における暴力というのは、肉体的なものに限らない。言葉の暴力というフレーズが普及して久しいこの頃、どうやら精神的な暴力もあるらしいぞと世間がようやく認識しはじめたらしいが
本を読むのが面白すぎて文章を書いている場合ではないので、今週の「週刊自室」はお休みです。かわりにみじかい小説をどうぞ。
「遊び誘って〜今月は暇だよ〜」 ポリくんから1ヶ月ぶりに連絡が来た時、僕は正直戸惑った。 これ以上彼と会話しても否定的感情が募るだけで得られるものは何もないと思っていたし、その気持ちはポリくんからしても同じはずだった。 最後に彼と会ったのは3月の半ばで、僕と彼は「恋愛の気持ち悪さ」をめぐって衝突した。なんとも青年期らしい話題だと思われるかもしれないが、その実ぶつかり合っているのは3月いっぱいで高校を中退することが決まっている進路未定の18歳と、小学校6年生の頃から不
この間、精神科で薬をもらった帰りのことだ。 最近は睡眠生活の調子が良く、気分も優れた状態が続いていたため、チリチリと雨粒の描線が紛れるローコントラストな視界さえ、その日の僕にとってはさわやかな春の一場面だった。 自宅からクリニックまでの二十分程度の道のりは、普段ならそのほとんどが、舗装されて大地と隔絶した病的に安らかな道を訥々と歩いてゆくだけの実に味気ない作業でしかなかったが、その日は違った。 咲いている。 花が咲いているのだ。 心から喜ばしい意味で、道々に花が
阿部寛はバカとブスを互いに排反だと思ってる説好き。 こんにちは、せうりくです。 今回は、この「〜好き」構文の話です。 こうして無為徒食の日々を送っているとYouTubeの魔の手から完全に逃れることはもはや難しく、作業(無為徒食のわりになにかしらの作業をしている)や休息(無為徒食なので毎日が休息)の背景として動画を流して環境音にする、という行為に走ってしまうことが往々にしてあります。今も流しています。 まあ私の現状はともかくとしても、今日では、どのようなチャンネ
1 よしおには医学がわからぬ。けれども死に対しては、人一倍に敏感だった。 ある時、よしおが執行を担当した死刑囚・竹原ムービー銃はこう言った。 「こう、『ソナチネ』みたいな感じでさ、こめかみに銃口を当てて処刑してくれよ」 よしおは激怒した。 こめかみを銃で撃つ方法は、失敗に終わる可能性を孕んでいる。 銃口がそれてしまったり、銃弾が頭蓋骨に跳ね返されてしまう場合があるのだ。ヒトの頭蓋骨は、思っているより丈夫である。 「でたこいつ、アホですわ。殺す」 よし
生んでくれと頼んだ覚えはないそこのあなた、こんにちは。 生まれてきてしまったものは仕方がないと思っている私です。 まあ親だってこんな子を産むつもりはなかったでしょう。そう考えると親も被害者ですよね。こんな子で申し訳ない。 さて、今日は明るい話です。 明るいといっても、自殺についてのあれこれを書くつもりなのですが。 自殺という課題に当事者として取り組んできた(つまり死にたがりな)身としては、自殺とはより幸福な状態に至るための手段のひとつであって、それはいかにして幸