#9 大学に行って勉強がしたいが、大学に行く勉強はしたくない【週刊自室】
大学に進学することが人生の常道であると信じて生きてきました。
自己の専門性涵養機構、あるいはモラトリアム延長戦試合会場こと、大学。
経済的余裕があるならとりあえず進学しておいて損はないらしい、とまことしやかに囁かれていることだけなんとなく把握しながら、それとなく中等教育を甘受する日々を送ってきました。
高校はなるべくいいところに通ったほうがいいだろ、と考えながら中学校で勉強し、大学はなるべくいいところに通ったほうがいいだろ、と考えながら高校で勉強していたのですが、なんやかんやあって結局大学に進学せずに自室をうろちょろする生活に行き当たったので、大学に行く意味を今になって再検討しています。
好きでもない仕事をして生きていくくらいなら生活保護に頼ってギリギリの生活をした方がマシなんじゃないか、などと思ってしまう瞬間があるくらいには、かつて自分が内面化していた人生規範はただのバカらしい妄想の類に降格してしまいました。
まともに大学に通って、まともに就職して、まともに生きていくということは、果たして本当にまともなのだろうか。
というか、惰弱な俺にそんな人生が送れるのだろうか。
それができないからこんなこと(高校中退)になっているのではないか。
俺にも送れるような人生ってなんだ? どこにあるんだ?
求 俺にも送れるような人生
譲 俺の人生
ずっとこんな調子だと、本当に生活保護ルートまっしぐらかもしれません。
みんなごめんな、俺、おまえらの金で食ってくよ。
親の金を食う生活から、みんなの金を食う生活へ。
「自立とは依存先を増やすことである」ってのはこういうことなんですよね。知ってました?
……ずっとこんな調子だと、本当に生活保護ルートまっしぐらかもしれません。
でも、今の自由な生活が楽しすぎて……
毎日やるべきことに追われていた高校生活を思い出すと、むしろ今までよくやってきたなって思うんです……
毎朝6時起床とか、信じられない……昼前までたっぷり寝ろ……
そして片道1時間の通学……小旅行じゃん……毎日が冒険……
学校では大学受験を常に意識させられ……今この瞬間を楽しむ余裕はなく……
体育の授業という名の暴力行使タイムでは恥辱と排斥にさらされ……思い出のなかで唯一美化されない、可哀想な体育教師……
友人たちと一緒に下校……この時間は楽しかった……じゃあいいじゃん……
帰宅して最低限の課題をやっとこさ終える頃にはいつも寝る時間になり……シンプルに要領が悪すぎる……
睡眠を削ると朝が途方もなく難関になり……やっつけで小テストを済ます……無意味……
そうして3年を費やし、手に入れた学歴「中卒」……
あほらし……
ずっとこんな調子で生きていくくらいなら、いっそ死ねたら楽ですわな。
ですが現状、自死を選択することは容易ではありません。
この社会では、自死の権利が保障されていないのです。
出生という最も根源的な暴力が容認されるなら、それに対応するかたちで、最上の権利として自死権が保障されるべきです。
しかし今日広く浸透している不完全な出生主義は、自死に対して極めて反抗的な態度を示します。
人身事故で列車が止まると、人々は死んだ者に向かって、届くことのない呪詛を吐きます。
まさに人々のそうした態度が鉄道自殺を生んでいるということに、かれらは気づいているのでしょうか。
この社会はあまりに不健全です。最も基本的な権利さえ保障できていない。
ともかく今のところ、自死という選択肢は現実的ではありません。すごく痛いし苦しいので。
ならば、なるべくマシな生き方をしたい。
ほぼ死んでるのと変わらないくらい、安楽な生き方を。
私は考えました。
私にとっては、まともじゃない生き方のほうがまともなのかもしれない。
まともじゃない生き方は、困難だろうか。
まともじゃない人間であるとみなされることは、苦しいだろうか。
その苦しみを前に、私の尊大な自己愛は、ついに揺らいでしまうだろうか。
わからない。
わからないけど、まともに生きるよりは遥かにマシな気がします。
私は、あれこれ考えることが好きです。
今だって、こうしていろいろ余計なことを考えています。
私はもっと、考えたい。考えつづけたい。
そのために、この社会を、この世界を、もっと知りたい。
私は、勉強がしたい。
この精神的活動に人生のすべてを注ぐことができるなら、おそらくそれは私にとって、死ぬよりマシな生き方です。
ではいったい、これからどうしたらいいのか。
ここにきて再び、大学進学という選択肢が浮上してきました。
私の興味は哲学や社会学の方面にあります。
ともすると進むべきは文系の学部なのでしょうが、あいにくと私は理系です。どうしてなんだ。
というかそもそも高校の勉強なんて、ここ1年半ほどからっきし触れていません。なぜなら、嫌いだから。
ここしばらく、自分が興味をもった分野の専門書ばかり読んでいたので、受動的な勉強をするのがなおさら嫌でしょうがない。
高校中退の経験も影響しているのでしょうが、一種の拒否反応ともいえる程度に、参考書を開くことが難しい精神状態です。
私がまともに生きてこられなかったのって、もしかしたらそういう気分的な性格のせいなのかもしれない。助けてメンタルクリニック。もう散々通ってるけど。
まあこれは仕方がない(ことにする)ので、しばらくは好きに本を読んで文章を書いていようと思います。いつか心が変わるまで。
怠惰って本当に悲しい!
𝑪𝑨𝑵𝑴𝑨𝑲𝑬 𝑻𝑶𝑲𝒀𝑶
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