#3 走れデスペナルティよしお【週刊自室】
1
よしおには医学がわからぬ。けれども死に対しては、人一倍に敏感だった。
ある時、よしおが執行を担当した死刑囚・竹原ムービー銃はこう言った。
「こう、『ソナチネ』みたいな感じでさ、こめかみに銃口を当てて処刑してくれよ」
よしおは激怒した。
こめかみを銃で撃つ方法は、失敗に終わる可能性を孕んでいる。
銃口がそれてしまったり、銃弾が頭蓋骨に跳ね返されてしまう場合があるのだ。ヒトの頭蓋骨は、思っているより丈夫である。
「でたこいつ、アホですわ。殺す」
よしおは、絵面重視の拳銃自殺描写が跋扈しているこの社会(それはそれで良いと思うけど)を憂い、竹原ムービー銃に気をきかせて教えてやった。
「俺は『ソナチネ』観たことないからわからないけど、ああいうやり方は確実じゃないからおすすめしないよ」
「じゃあどうしたらいいんだ?」竹原ムービー銃はいきり立って反駁した。
「銃口を口の中に咥えて撃つか、下から喉を狙うのがいいよ。こうやってね」
執拗な銃撃音が響いた。
死刑囚は、ひどく赤面した。
2
よしおには音楽理論がわからぬ。けれどもギターを齧っていたので、音楽の話に対しては、人一倍に敏感だった。
ある時、よしおが執行を担当した死刑囚・グレグレゴリゴリオはこう言った。
「椎名林檎が走りながら歌うと、ドップラー効果でドー名林檎になることはあまりにも有名であるが。」
よしおは激怒した。
椎名林檎の「しい」がイタリア語の階名「シ」なのであれば、確かにドー名林檎になるのかもしれない。
けれどもよしおにすれば、椎名林檎の「しい」は、英語の階名「C」であるとするほうがしっくりきた。
その場合、「椎名林檎が走りながら歌うと、ドップラー効果でディー名林檎になる」ということになる。
「でたこいつ、アホですわ。殺す」
よしおは、MVごとにあまりに別人になる椎名林檎に対して、いったい椎名林檎は何人いるんだという戸惑いを隠しきれないこの社会を憂い、グレグレゴリゴリオに気をきかせて教えてやった。
「どちらかといえばディー名林檎じゃない?」
「なに? では椎名林檎はC名林檎、つまりドー名林檎であり、こちらへ向かって走りながら歌う椎名林檎はD名林檎、つまりレー名林檎であって、走り去る椎名林檎はB名林檎、つまりシー名林檎であるということか?」グレグレゴリゴリオはいきり立って反駁した。
「ああもううるさい!」
よしおは、イヤホンガンガン爆音処刑装置を作動させた。
死刑囚は、ひどく赤面した。
3
よしおには対戦ゲームがわからぬ。けれどもポケモンに対しては、数年に一度のペースで人一倍に敏感になる。
ある時、よしおが執行を担当した死刑囚・ポケットにモンスター隠し人間はこう言った。
「かかとおとしって、外すと痛いよね」
よしおは激怒した。
多分だけど、かかとおとしは当てても痛い。
当てる場所が脳天であれそれ以外の部位であれ、何かしらの骨が通っている部位に踵をぶつけたら痛いに決まっている。
「でたこいつ、アホですわ。殺す」
よしおは、ポケモンを知っている人はめっちゃ知っているしポケモンを知らない人はなんにも知らないこの情報格差社会を憂い、ポケットにモンスター隠し人間に気をきかせて教えてやった。
「かかとおとしは、当てても痛いよ。やったことないけども」
「でもそれだとゲームバランス的にどうなの?」ポケットにモンスター隠し人間はいきり立って反駁した。
「性犯罪者が一丁前にゲームバランス語ってんじゃねえよ」
よしおは、ポケットにモンスター隠し人間から緋のマントを剥いだ。
あと処刑した。
死刑囚は、ひどく赤面した。
4
よしおには心理学がわからぬ。けれども専門用語の誤用に対しては、人一倍に敏感だった。
ある時、よしおが執行を担当した死刑囚・友達絶対殺すマンはこう言った。
「メールの文章中に『よろしくお願いします』って言葉をたくさん入れてたら、ゲシュタルト崩壊しちゃって文字の打ち方がわかんなくなったりすることって、あるよな」
よしおは激怒した。
「ゲシュタルト崩壊」とは、長時間の注視や反復のうちに対象の全体的な構造が見失われてしまい、個々の部分として再認識される知覚的現象を指す言葉である。
この男が言っている内容はゲシュタルト崩壊ではなく、作業の反復によるただの疲労だ。知覚とは関係がない。
「でたこいつ、アホですわ。殺す」
よしおは、ゲシュタルト崩壊という用語が濫用されているこの社会を憂い、男に気をきかせて教えてやった。
「いや、それはゲシュタルト崩壊じゃないよ。君さあ、何かを繰り返していくうちにわけがわからなくなること全般をゲシュタルト崩壊という言葉でまとめようとしてるでしょ。それはだいぶやっちゃってるよ。気つけなよ」
「あ? じゃあわかった、『よろしくお願いします』って打ち続けてたら言葉の意味がわかんなくなってきた、ってことならいいのか? なんかお前めんどくせえな」友達絶対殺すマンはいきり立って反駁した。
「俺がか?」よしおは、憫笑した。
「しょうがねえな、こいつ。あのね、ゲシュタルト崩壊っていうのは、一つの塊として認識されてたものがバラバラになっちゃう現象なの! 言葉の意味がわかんなくなるんじゃなくて、『なんか線がいっぱいあるなあ』って思っちゃうやつのことなの! 意味がわかんなくなるやつは意味飽和っていう別の現象なの! 二度と間違えんなよ、ボケが」
よしおは、有刺鉄線首吊り瞬間処刑装置の作動ボタンを押した。
死刑囚は、ひどく赤面した。
5
よしおには量子力学がわからぬ。けれども専門用語の誤用に対しては、人一倍に敏感だった。
ある時、よしおが執行を担当した死刑囚・毒山殺子はこう言った。
「チョコボールの口をひらくまで、そこにエンゼルが描かれているかどうかは決定しない。シュレーディンガーのキョロね」
よしおは激怒した。
「シュレーディンガーの猫」は、コペンハーゲン解釈への反論として提示された思考実験である。
「箱を開けるまで生きた猫と死んだ猫が重なって存在するなどということがあってたまるか」という主張が重要だったのであり、毒山殺子が言っていることはむしろコペンハーゲン解釈の肯定であるという点で、引用として不適切だ。
「でたこいつ、アホですわ。殺す」
よしおは、シュレーディンガーの猫という用語が濫用されているこの社会を憂い、女に気をきかせて教えてやった。
「いや、それはシュレーディンガーのキョロじゃないよ。君さあ、シュレーディンガーの猫のことを、『蓋を開けるまではわからない』的なことわざ程度に認識してない? それはだいぶやっちゃってるよ。気つけなよ」
「あら、そうなの? でも実際、そういう実験じゃない? あなたって結構細かいのね」毒山殺子はいきり立って反駁した。
「俺がか?」よしおは、憫笑した。
「しょうがねえな、こいつ。あのね、シュレーディンガーさんは複数の状態が重なり合う量子力学の理屈に反論するために猫をフィフティフィフティ毒ペナルティ部屋に入れたの! 蓋を開けるまではわからないとしても、生きるか死ぬかのどっちかには定まってるだろって言いたかったの! だいたい、これは学問的な話なんだから、変に素人が日常生活に持ち込んだところで何にも面白くねえからな。俺も含めて。二度と間違えんなよ、ボケが」
よしおは毒山殺子をワンハンドレッド毒ペナルティ部屋に入れ、絶命確定即デス毒ガス噴射装置を作動させた。
死刑囚は、ひどく青ざめた。
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