思い出しライブ・レビューVol.1 ~「1996年。アイアン・メイデンにブレイズ・ベイリーがいた時代」
思い出しライブレビュー
あの日あの時あの場所で、
確かにあの瞬間に立ち会った、、。。
後から振り返ってみると、それが意外と貴重な体験だったというライブがあります。メタル系が多いんですが、、、
たとえば、
・マーティ・フリードマン在籍時でメロディアスなギターが健在だったメガデス(1998年)
・たまたまジョージ・リンチが戻ってきていたドッケン(1996年)
・ザック・ワイルドではなく、ランディ・ローズの弟子という触れ込みのジョー・ホームズがいたオジーオズボーン(1996年)
・エイドリアン・ヴァンデンヴァーグがいて、まだ英国風味の抒情性を捨てていなかったぎりぎりの時代のホワイトスネイク(1998年)
・大衆ロック化する直前のボンジョヴィ(1996年)
・ロブが復帰して、革ジャン比率がやけに多く、汗臭く、興奮度の高かった武道館ライブ(2005年、、たしか)
などなど。。。。
そのなかで、今回は、ある意味ではとても貴重な一夜のことを書いてみようと思います。
題して、アイアン・メイデンにブレイズ・ベイリーというボーカリストがいた時代
今回の記事をお読みいただく前に
今回、知らない人は知らないメタルバンドのライブ評を書いてみます。
興味が無いと、バンド名やメンバーのカタカナや、曲名の英語表記にアレルギーがあるかもしれません。
というわけで、今回、お読みいただく前に、↓の動画をご覧ください。
これをご覧いただいて(最初の十数秒でも)、あ、意外といいかも!と思っていただければ、ぜひ、先に進んでいただければと思います!
バンドへのちょっとした共感があった方が良いと思います。なお、文章は、アイアンメイデンを良く知らない方向けに書いているつもりですが、、その通りになっているでしょうか・・
1、2021年「戦術-Senjutsu」アルバム
2021年、「戦術-Senjutsu」というアルバムをアイアンメイデンは発表しています。
長い曲が多いですし、初期の頃に会った疾走感あふれる楽曲は望むべくもなく。
かといって、その長尺の曲が、代表曲「Hallowed Be Thy Name」とは言わないまでも、せめて「Sign of the Cross」という楽曲レベルにあってくれれば良いのですが、、このアルバムに収められたのは地味に長い曲の印象。
もちろん随所随所で、アイアンメイデン節(らしいメロディ)は健在で、長い曲の数分程度このメロディが流れるだけで満足してしまうのです。
とくにラストの「Hell on Earth」は必聴。
↑長いですが、2:15あたりからのメロディはこれぞアイアンメイデン。
彼らは2021年あたりから待ち受けるファンのもとへと、長い旅に出ています。そして2022年も2023年も変わらぬ熱狂をもたらしてくれると思います。
2、アイアンメイデンとの出会いは「フィア・オブ・ザ・ダーク」
このメタル界の伝説的なバンドとの出会いまで一気にさかのぼってみます。初めて聞いたのは中学三年の時。
出会いは「Fear of the Dark」というアルバムでした。
実は、まだまだ当時はデフ・レパードやハートなどのわかりやすいロックが大好きで、メタルの真髄はあまり良くわかっていませんでした。
ですので、実はこのアルバムのオープニング曲「Be Quick or Be Dead」という歴史的名曲も、この頃は、なんだかボーカルが荒いな。。と思っていたんですね。。。
そんな印象が、劇的に変わったきっかけはこのアルバムのラストのタイトル曲。「Fear of the Dark」
当時僕は、とある田舎町に住んでいて、夜も20時を過ぎると開いているのは自動販売機のみ。。。そんな場所ですから夜は猛烈に暗かった。そう、怖いくらいに暗かったんです。夜に家の庭にいくなんて、懐中電灯があってもおそろしい。普通にキツネとかいますしね。
そんな環境だったせいかこの曲の歌詞が身に染みてきまして。
(一部引用意訳)
というわけで、リアルタイムでこの曲を聴いていた時の自分の周辺環境と、それを代弁したかのような歌詞と、それを支えるドラマチックな楽曲構成に、このバンドは只者ではないと思うに至るのは、わりとすぐのこと。
そうなるとオープニング曲「Be Quick or Be Dead」は、荒さがあるが故に、カッコいいということもわかってきて。。
あとは、過去の音源をチェックするなどして、瞬く間に、趣味嗜好が変換され、それまで好んでいた「アメリカンなハードロック」から、「英国風の湿ったメタル」の虜になっていきました。
3、衝撃の重大事件勃発
やっと、過去の名曲群にもなれて、アイアンメイデンの何たるかがわかってきた頃、、衝撃のニュースが!
なんと、ボーカルのブルース・ディッキンソンが脱退というではないですか。あのキーの高い楽曲を、高らかに舞い上がるように歌い上げることができた稀有な人材の代わりがいるのか。。。という不安がありました。
(前述のオープニング曲「Be Quick or Be Dead」を聞いていただくと、彼の価値が良くわかるかと。)
ですが、たとえば、クイーンズライクにはジェフ・テイトがいるし、ジューダスにはロブがいたし、ハロウィンにはマイケル・キスクがいたし、ディオも健在だったし、イングヴェイのマーク・ボールズや、ジェフ・スコット・ソートなどという、高音ハイトーンハイスクリームが歌えるボーカルも結構もいるではないかと。
おそらく歌える人を見つけることができるのではないかと。そう信じていたわけです。
そして、1996年、新たなボーカルを入れてのアルバムが発売になります。。。
4、衝撃のボーカル
当時は、インターネットも自宅にないし、ラジオも聞いていなかったので、アルバム購入のタイミングが初見・初視聴でした。イラストではないエディのジャケットに、新しいボーカルを迎え、新しい船出に彼らが込めた意気込みを感じながら、、、スイッチを。
スピードチューンで攻めてくるかと思いきや、スローな出だし。なんだろうこれは、、、と。
一曲目「Sign of the Cross」は、こんな風に始まりました。
「Fear of the Dark」のようにすぐに展開していく構成ではない。と、いきなり誰かが歌い始めました。
そう、ブルースの声に慣れてしまっていたので、このアルバムの歌声が流れてきたときに、「あ、誰かが歌い始めた。。」という感覚だったんです。
え?
ヴァンヘイレンのボーカルのデイヴィッド・リー・ロスがゲストで参加してた??
というような感覚。
ところがそれが、新ボーカリストの声という現実。。。。
うーん。
まだ、初期のパンキッシュな曲なら良いかもしれない。「Sactuary」 , 「IronMaiden」とかなら、、、思いながら前を向く。。。。
ただ、この「Sign of the Cross」(楽曲動画は↑)のような抒情性あふれる楽曲には全く合わない。
初期のヴァンヘイレンの曲ならハマったかもしれないが。
でも、マイナスだけではなく、このアルバムを聞き終えてみて気が付いたことがあります。
聴き終えて実感したプラスの要素
そう、かなりのマイナスな衝撃の後に、試聴後かなりのプラスの衝撃が訪れます。
このアルバム、間奏や演奏、メロディがあまりにも素晴らしいんですよ。
これぞアイアンメイデン、これぞブリティッシュヘヴィメタルというメロディラインが詰まっている。
この流れるようなギターの響きこそがアイアンメイデンだったわけです。それは失われていない!!!と。それは安堵しました。
(この要素は、実際は86年の6枚目の作品「Somewhere in Time」以降に取り入れられた音楽的要素で、初期からあったものではないんですけどね。ギタリスト、エイドリアン・スミスの(メロディラインの)覚醒があったんだと思います。)
「Sign of the Cross」の間奏にもこのような素晴らしいギターのメロディがあります。↓の動画をご覧ください。7:45あたりから必殺のメロディが!
(これは、ブルース・ディッキンソン復帰後のライブバージョン。もはやこのバンドはこの声でなければいけない。。)
・・と、まとめると、やはり感じた衝撃は二つ。
5、ライブ参戦を決めた理由
このようなアルバム体験を経ると、普通はライブも避けるもの。でも当時は、すでにアイアンメイデンの魅力はリズム隊のメロディであることがわかっていましたし、ニューアルバムでもそれは失われていなかった。
(この点が同じようにボーカルを失ったのちのジューダス・プリーストやモトリークルー、90年代のブラックサバスとは大きく違う点でした。
彼らは音楽性自体をもトレンドのヘヴィな方向に変えてしまった。
モトリーはハマっていたけど。→つまりはメタルに合った叙情性を、重さに変換してしまった。
この点、簡単にいうとXジャパンが紅やエンドレスレイン、フォーエバーラブを演奏するのをやめて、ニルバーナみたいな曲ばかりをライブでやり始めたら、、、と想像するとわかりやすいと思います。全く別物ですよね。)
当時は、ブルースが復帰するなんて思ってもいなかったですし。
ならばメロディを聞きにいくかと。もしかするとブレイズも初期の曲は歌えるかもしれないと。。そんな思いで、伝説のバンドのライブに立ち会うことを決めました。
6、やっと、思い出のライブレビュー
1996年、中野サンプラザ。
セットリストは以下の通り。
座席は、結構いい席で、スティーブ・ハリスの瞬きが見えるくらいの距離。
開始前のBGMがなんだったか。。。でも、この日ここに集まったのは、屈曲なアイアンメイデンフリークであることは間違いなく、思った以上にライブ前から盛り上がっていたのが印象的。
そしてオープニング曲。「Man on the Edge」。
メタルの叙情性にあふれ、高らかに流れるように疾走する楽曲。そうブレイズ・ベイリーには全く合わない楽曲からのスタート。
(ブルースのボーカルバージョン。さすがに名曲に仕上がっている。)
ボーカルは案の定厳しい。まだ録音の方が良かったような。
抒情的なメロディという名馬に、デイヴィッド・リー・ロスのような単調な声を持った男が乗り、コントロール(キャリー)しようとしている。けれども、まったく乗りこなせておらず、振り落とされそうな気配。。
2曲目は初期のWrathchild。これはセカンドアルバムの初期の名曲。初期の曲ならば歌えるのではないか??。。という思いはこの段階で挫かれます。
アイアンメイデンの初期は、たしかにパンキッシュな薫りが漂い、勢い重視の面があります。。。と、、いえども勢いだけではないこの曲は、なかなかレベルが高いのでしょう。ここにきて、ブレイズ同様に、単調なボーカルだとおもっていたポール・ディアノが、実はとても良い仕事をしていたという事実に気がつきます。
あとは、終始こんな感じで、、、
ボーカルについては特筆すべき点がないのが実情。
後半の初期の傑作「Iron Maiden」「The Trooper」も、、、まあ、、、、という感じで、やはりブルースの声に脳内変換されてしまう。
7、中略:メタルバンドのボーカリスト
やはりメタル系のバンド、特にボーカリストは唯一無二の個性、まさにバンドの顔ですね。(メタル系じゃなくてもそうか)
わかりやすく言うと、ボウイは氷室京介でなくてならないし、XジャパンはToshiでなければならない。RCサクセションは清志郎でなくてはならないし、レベッカはNOKKOでなくてはならない。
レッド・ツェッペリンはロバート・プラントでなくてはならないし、ストーンズやクイーンは言うまでもなく。
あの90年代前半。メタル系バンドの重鎮たちを襲ったボーカル交代の悲劇は、歴史的考察の意義があるかもしれません。
ジューダス・プリースト、アイアン・メイデンという2大バンドからほぼ同じ時期にボーカリストが脱退するとはだれが予測できたでしょうか。
ジューダスプリーストは歌えるボーカリストを入れたけど、音楽性を変えてしまった。
アイアンメイデンはボーカル選定は失敗だったが、音楽性は変わらなかった。
でも、どちらのバンドも、彼らの曲のリフが聞こえた瞬間に「あの」声が脳に流れてくるくらいボーカリスト=バンドそのものとなっていたのが悲劇でした。
もしかするとグランジやヘヴィさというトレンドへの接近が、年齢を重ねていったボーカリストたちの最後のチャンスだったのかもしれません。(ブルースも一時期そっちに行ってしまった。)全盛期の声で歌える時期は限られているから、新たな挑戦をしてみたい。。。という意欲だったのかもしれません。
不幸だったのは、その段階ですでに彼らのいたバンドの代名詞的存在になってしまっていたことですね。変えの利かない存在として認知されてしまった。
ボーカリスト変更で成功した例はさほど多くなく、、、たとえば、
リッチー・ブラックモア:ディープパープル~レインボー
トニー・アイオミ:ブラックサバス
でもやはりディープパープルはイアンギランの声が聞こえてくるし、サバスは、オジーとディオの声が聞こえてくる(サバスに関しては楽曲の質が全く変わってしまっていますが)。
8、ライブ・レビューに戻ります
ブレイズ・ベイリーは、ステージアクションもまさかのダサさでした。横を向いて、片手で拍子をとるように腕を振るだけ。。これは、TVでみた、イングヴェイ来日公演のマイク・ヴェセーラに匹敵するダサさでした。。。
途中、、、スティーブ・ハリスのベースソロが素晴らしかった。「Blood on the World's Hands」という曲では、ベースを固定して出だしの素晴らしいソロを聞かせてくれましたし、初期の曲では脳にインプットされているベースラインが、目の前で繰り広げられ、感動とともに堪能いたしました。
ギターのメロディ(「Man on the Edge」「Sign of the Cross」「The Evil That Men Do」などや)、ドラムは期待通りの響き。「The Trooper」のドラムもまさに脳内に残っている音そのもの。
というわけで、ボーカルよりもバックの演奏をしっかり聞くことができました。会場の規模は全く違いますが、1992年のドニントンライブや、「Live After Death」で鳴り響いていた音が、確かにそこに在りました・
音で伝説を目の当たりにした。。。というわけで、それなりに満足して会場を後にしたのでした。
9、このボーカル変更事件は何を示唆しているのか
まあ、言ってしまえば人選のミスで片付けられるわけですが、このアイアンメイデン史上初といっていいくらいの斜陽の時期(売り上げも、ファンからも)があったことが、2022年も健在なアイアンメイデンの伝説につながっているような気がしています。
つまりあのブレイズ・ベイリーの時代、彼ら自身の音やメロディの質、メタルに込めた思いは変わらなかった。その思いを体現した楽曲ばかりだった。だが、それを歌うボーカリストは前任者と比較される運命にあった。そして、仮に比較が無かったとしても、歌いこなせてはいなかったという事実。
あの1996年からブルースが復帰するまでの数年間で、世界のファンの心の中に、在りし日のアイアンメイデンの理想像が浮かび上がっていたに違いありません。
自分が青春をかけて追いかけていたアイアンメイデンの在りし日の有志。誰もがその日が再び訪れることを待ち望んでいたことでしょう。
この、当時は叶わないと思われていた熱いアイアンメイデンへの思い。あの熱狂の瞬間復活の思いは、各地でつながり、徐々に世界に広がっていったんではないかと。NWOBHMがそうだったように。
そして、誰もが待ち望んだブルースの復帰によって、その熱量が解き放たれた。それは1980年代に青春を謳歌していた世代の子供たちをも巻き込んだムーブメントになったのではないか。
あのブルース復帰は、凹みが大きかったからこそ、大きな跳躍をもたらしたのでしょう。それは、彼らを、もはや誰も到達できない高みに押し上げた。
そしてその熱狂は2022年も健在であるということ。
そう考えると、あの斜陽の時代も、いずれ来る栄光に彼らを導くための布石だったと思えるのです。
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