【再掲】80年代の音楽シーンを辿る旅Vol.2 〜 変革の起点、ガンズ・アンド・ローゼスの出現
過去の音楽記事を全て書き直してみます。過去記事はそのまま残します。かなり加筆しているので、新しく楽しんでいただけると思います。暫くしたら有料にいたします。ぜひ、改めてお読みいただければ幸いです。
米国に集結したオールドウェイブとニューウェーブ
(前回より続く)
1983年が発火点でした。オールドウェイブと言われた70年代ハードロックを主体とした英国発のヘヴィメタルと、これまた英国発のニューウェーブと言われた音楽がアメリカの中で融合したり影響しあったり、それぞれがそれぞれのフォロワーを生み出したり。
融合だけではない大きな化学変化を生み出し、あの、きらびやかな80年代音楽がここに誕生するに至ります。
以降、それぞの流れを追ってみます。
MTV
1981年にMTVというサービス(番組?)が登場しました。このことが80年代を含め、それ以降の音楽マーケティングの在り方をガラッと変えることになりました。
音だけではなく、視覚的なマーケティングが始まることになります。
今でいうとYouTubeマーケティングですね。
このMTVのような仕組みを、個人が手軽に持てるようなったのがYouTube。2000年代中盤ごろ、インターネット回線の高速化、サーバ圧縮技術、セキュリティの向上でUGM(ユーザが作り上げるメディア)が一気に開花。ブログとか、このnoteのようなサービスもまさにですね。。。→このあたりは後日。
このMTVにのって、英国から流入した2つのジャンルがアメリカ覆いつくしていきます。それは、メタル系(オールドウェイブと呼ばれた面々)、ポップス系(ニューウェーブと呼ばれた面々)です。
LAメタル
1983年、ハードロックにカテゴライズされるバンド、クワイエット・ライオットの「Cum on Feel the Noise」という楽曲が全米ナンバーワンを獲得。これが、米国でのハードロック伸長の狼煙となりました。
これによって、LAのアンダーグラウンドで巣くっていた面々が地上に姿を現し始めます。英国のNWOBHM直結の音を奏で、その音から想像できるような風貌、および80年代初期に流行したカットTシャツやビスのついたライダースに身を包んでいた彼らは、そのあたりを歩いていると誰も近寄らないような、、、、そんな面々。
そんな彼らが地上での市民権を得たことで、音だけではなく、ファッション面でも大きな影響を及ぼしていきます。
80年代中盤までのヒットチャートにいたアーチストがどこか似たような風貌なのもこのあたりに影響があると思います(全てではないにしても)。
そんな彼らは音楽的特徴として、ギザギザ、ザクザクとしたリフを刻んでいたことが挙げられます。音楽的特徴を上げることができるということは、音が似ているということですよね。そういう音であるとカテゴライズできるということですので。となると、必然的に楽曲も似てきます。
↑こんなギターリフ
LAメタルとカテゴライズできているのもそんな理由です。ですので、このグルーピングされた集団から頭一つ抜き出していくには個性が必要。
楽曲としての個性ですね。多くのバンドが出たLAメタルですが、結果として世界的ヒットを飛ばしたのは、モトリークルーというバンドだけだったかもしれません。
(あとはRATTでしょうか。WASPはずっとアンダーグラウンド近辺でしたし、グレイトホワイトはブルーズに路線を変更していきました。DOKKENはボーカルとギタリストの仲が悪くて伸び盛りだったのに楽曲展開が乏しかったような気がします。)
ちなみに、LAメタルという呼び方は日本でしか通用しません。和製英語、和製カテゴリですね。
モータウン
モータータウン、デトロイトの音楽レーベルがモータウンです。設立は1959年と結構古い。ソウルやファンク、R&Bや、このジャンル経由のポップスアーチストが参画していました。モータウンの歴史は90年代のブラックミュージックの歴史を辿るところで詳述いたします。
このレーベルからは、スティーヴィー・ワンダー、ダイアナ・ロス、ライオネル・リッチー、ジャクソン5、マイケル・ジャクソンらが出たわけですが、最盛期は60年代から70年代にかかるあたりでしょうか。
1983年には25周年を迎え、この25周年記念コンサートでマイケル・ジャクソンが披露したのが「ムーンウォーク」です。
80年代はモータウン出身のマイケル・ジャクソンがポップス界を席巻しました。彼の音楽はキーボードなどを活用したダンスチューンやアップテンポのものが多く、80年代はR&Bという音楽自体もニューウェーブが作った下地の上にあったと言えます。
1983年といえば「スリラー」アルバムが発売された年でもあります。
エドワード・ヴァン・ヘイレン~アメリカン・ハードロックの隆盛へ
1984年、ロサンゼルスオリンピックの年。初めての商業的なオリンピックといわれたこのイベントが開催された前年の1983年。
レーガン大統領が提唱した本土防衛のためのスターウォーズ計画が、その名前からわかるように、実態としての戦争兵器のイメージを薄め、宇宙へのあかるい期待を想起させていました。
日本でも宇宙にまつわる番組や展覧会が当時多数開催&放映されていました。
このことに呼応するかのように、映画の世界でも宇宙に関連する1982年のETなど宇宙への希望を感じさせるものが多かったと記憶しています。
宇宙への挑戦として、スペースシャトルが飛び立ったのも1981年からですね。
こういう時代。マイケル・ジャクソンに続くモンスターヒットアルバムが登場します。
それは、ヴァンヘイレンが発売した「この年そのもの」をタイトル(「1984」)にしたアルバム。キーボードの音色を印象的に使った「Jump」という曲は、瞬く間に全米の若者を虜にしていきます。
このバンドのギタリスト、エドワード(エディ)・ヴァンヘイレンは、このアルバム以降、一気に世界的なアーチストの仲間入りを果たしていきます。すごいギターといえば、エディ・ヴァンヘイレンであるという認知ですね。
彼がこの世を去った時、NHKでも特殊が組まれるほどでしたので、その影響度合いがわかります。
翌1985年には、宇宙ではなく、時空を超えることがテーマの「Back to the Future」のパート1が放映されました。この中で主人公のマーティは、実はヴァンヘイレンのカセットを持ち歩いているんですよね。この場面は、いわばヘヴィメタル・ハードロックがアメリカにおいてコモディディ化されたこと証明していると思っています。
そして、東海岸のニュージャージーからはボンジョヴィがデビュー。まだアンダーグラウンドの香りが漂っていたLAメタルから、きらびやかなアメリカンハードロックの世の中へと移っていくわけです。
ポップス系アーチスト~AOR
マドンナやプリンスが頭角を表すのも80年代初頭。プリンスはの「パープルレイン」(1984年)が大ヒット。
ポップス系アーチストが集結し「We are the World」(1985年)が世界に向けて発信されます。
そして、メタル界のオジーオズボーンらも参加した世界的な音楽フェス「ライブエイド」が開催されたのも1985年。
70年代も音楽の細分化と融合、拡散が進んだ時代でしたが、80年代もヘヴィメタル・ハードロック、第2次ブリティッシュインベイジョンという音楽ジャンルでも細分化と融合が進みます。ジャズやフュージョン、R&Bの世界でも細分化と融合が進みます。
これを後押ししたのが、MTV。音楽に映像を加えたPVが、量産され、TVを通して音楽が拡散されていきます。TVがイメージを作り上げていたんですね。
また、ボビー・コールドウェルに代表されるAORと呼ばれるジャンルも登場しました。
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