ボブ・ディラン「Not Dark Yet」 ~ まだ暗くない、でも、、
30枚目のスタジオアルバム『Time Out of Mind』(1997)に収録されていた「Not Dark Yet」(まだ暗闇には包まれていない)という味わい深い楽曲の歌詞について書いてみました。
ボブ・ディランは90年代半ば、突然の心臓発作に見舞われます。生死の境をさまよったらしく、彼も観念してか、「そろそろエルビスに会う時が来たかな」なんて思っていたらしいです。
そこから奇跡的に復活を遂げ、発表したのがこの曲を含むアルバム。約20年ぶりに全米チャート上位に食い込んだ作品です。この曲は、そんな境遇で書かれた。そう考えると一層味わい深く感じられます。
最終的には大いなる存在、神に感謝していたんだろうなあ、と思える歌詞になっています。
It’s not dark yet, but it’s getting there
徐々に陽が落ち、影が差してきて、、、という物理空間の暗さ。これと、生命の源である陽の光ですら癒せない傷を抱え、眠れない夜の底にただ一人たたずんでいる、、という内面の暗さの対比。
救いようがないように見える一日の終わりでも、希望はある。でも油断をするな。(まだ暗くない、、、でも徐々に暗闇は広がってくる)
光があり、光が照らす対象物があれば、その裏には必ず影ができる。光があるから影・闇がある。美しいものの裏には、必ず何かしらの痛みがある。奇麗な薔薇には棘がある。そんな、鬱屈とした思いを抱えている。
あのとき、あの娘は、そんな自分に、思いのたけを手紙にしたためてくれたのだ。でもそれが何だっていうんだ。。。と、ちょっと見えかけた光を投げやりに遮ってしまう。
最悪の状態は、まだ回避できる、、、けれど、油断をしてはならない。いつ何が起きるかわからない。
いろいろ悩んで、あちらこちらを渡り歩いたけど、でも闇雲に歩いただけでは何も変わらない。
かえって、悪意に満ちた世の中を目の当たりにしてしまう結果になり、さらに気持ちは沈む。この状態ではもはや、自分を見つめる誰かの目の中に、希望の光を見いだすことはできない。
抱えられない重みを抱えないといけないことがあるのさ。。とうそぶいて、強がってみる。
まだ大丈夫。強がれるだけ、光を取り戻せる可能性はある。でも、油断をするな。それもいつまで続くかわからないのだ。
自分はここで生まれ、そして死んでいく。それはもちろん自分で選択した人生の出発地点と結末ではない。
あれこれと、想いのままに行動してきたかのように見えるかもしれないが、実際は何もせず、ただ立ち止まり、時が無為に流れていくのをぼんやりと眺めていただけなんだ。
ああ、全身が疲労感に包まれている。何から逃れるためにここに来たのかすら、もう思い出せない。
祈りの言葉も聞こえない。
まだ自分を包む世の中は、闇に包まれてはいない。まだその兆しが見え始めているだけだ。
時にはこんな風に思い悩むこともあるものさ。まだ闇には、、まだ闇には包まれていない。。。
It’s not dark yet, but it’s getting there. Never mind.
時には、谷の底にすべてを抱えて沈んで行ってしまうかのような絶望感が全身を包み込むことがある。その時は、そのさらに外側で、自分を包む世界までも、闇に包まれたかのような印象をもってしまう。
そんなときは、強がらず、焦らず、闇雲に動かず、その波が、その川の流れが通り過ぎていくのをひっそり静かに待っているのが、ベターな選択というときもある。
待っている間も、世界は闇と同化していく。
でも心配しなくていい、どんなに落ち込んでいても、どんなに絶望していてても、明けない夜はなく、闇があるから光の大切さ、ありがたさを感じて、感謝の心が芽生え、世界全体を感謝という気持ちで包み込んでいくことができるのだ。