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あの行き止まりの線路は、自分の心へと通じる「ホワイトロード」だったのかもしれない。 地方再生✖︎音楽 GLAY
行き止まりの線路。
80年代。僕たちが青春を駆け抜けた我が祖国、「試される大地」には多く見られた風景があった。それは、もはや使われることのなくなった、行き止まりの線路。
あの時の僕たちは、あの風景に何をみていたのか。故郷に何をみていたのか。
行き止まりの炭鉱。
かつて「試される大地」では、炭鉱が盛んだった。ここから紡がれたドラマが「幸せの黄色いハンカチ」であり、「鉄道員(ぽっぽや)」であり、山田洋次監督作品であり、降旗康男監督作品だ。炭鉱を中心として世界が形成されていて、夕張、芦別、美唄、幌内など、各地の炭鉱の栄枯盛衰は、その時期を実体験していない僕たちのような地元民にすら焼き付いているくらいなのだ。
そして炭鉱周辺に人が集い、集落が栄え、人を運ぶために鉄道が敷かれた。
この動きは、70年代初頭あたりまでが最盛期だろうか。80年代に始まる日本各地の上京物語や、60年代からのエネルギー改革の果てに、炭鉱が衰退していくとともに、人材流出も始まった。
残されたのは無人の集落、それ以上積もることのないボタ山、そして鉄道跡地である駅舎と線路。
行き止まりの鉄道。
小学生のころ地元の路線が廃止になった。「電車って無くなることがあるんだ。」というのが素朴な感想。
炭鉱の閉山、発電所の設置、東京への集中。経済の好転、大学進学率の上昇、そして気が付かないうちに始まっていたバブル経済。
鉄道の廃止も、知らぬ間に押し寄せていた過疎化の産物だった。過疎化という言葉と、そこから生まれる事象が鮮明になるには、そのころから30年ほどを要したわけなのだが。つまり、限界集落、地方再生というキーワードがメディアを賑わし始めたの頃がそれにあたると言えようか。
行き止まりの線路。
さて、残されたのは線路。もはや人を運ばなくなった線路。
少年たちは、終わらないと信じていた青春っていうやつの風に吹かれながら線路を歩いた。線路を歩く経験は、なかなかできないかもしれない。一定間隔に置かれている枕木の凹凸感によって、とても歩きにくい。また線路を枕にして寝るドラマのシーンなどもあるが、線路の高さと硬さに加え、枕木のゴツゴツ感でとてもあんなことはできないことも分かった。
ただ、そんな風に感じながらも、かつて人を載せて行き来していた鉄道を思った。鉄道は毎日、一定の時間で往復していた。そこには人の思いがつまっていた。様々なドラマがあったことだろう。
思うのは終戦後のこと。戦地や内地、満州からの引き揚げ者を乗せて鉄道は「試される大地」を駆け抜けていたことだろう。逆に、少し前には、逆方向に向かい出征者を見送ったのだろう。
だが、今は、無人の線路があるのみ。雑草が風に揺れているその風景は、幼心にも焼き付いていたのか、今でもそのとき吹いていた風や風景を思い出すことができる。
行き止まりの終着駅。
少年たちは、ある日、自転車で終着駅があった場所に向かってみた。そこは海岸のある街で、終着駅のあったあたりからは海岸にそびえる岸壁の一部が見渡せた。
古いイタリア映画に「鉄道員」という作品がある。あの映画のテーマは「人生の終着駅をどのように迎えるか、そしてその時、家族はどうするか」というもので、終着駅を人生に見立てていた。
90年代の日本映画に「鉄道員(ぽっぽや)」という作品がある。この映画の内容は「人の思いの集積場所である駅舎に訪れた、とある家族の思い」で、テーマをあえて考えるならば「かつて試される大地に存在していた鉄道と駅は、人々の思いの媒介地点だったことの表明」だろうか。
この映画の架空の町「幌舞」もまた、終着駅だった(と記憶しているが・・)。
高倉健さん扮する主人公は、その思いに包まれて、思いの集積地で息を引き取っていく。
行き止まりにはしたくない心のありか
鉄道の廃止、炭鉱閉鎖に伴う集落の崩壊は、我々が「思いの集積地」を失ったということなのかもしれない。きっと、それはオンラインでは築き上げることができないものなのかもしれない。
コロナを経て、リモートワークが進み、おそらく人材の流動性も高まっていくことだろう。もはや一つの企業から人生を教わることはない。自分が心地よく生きていける場所を、自ら探していく時代になっていくのだろう。
その時こそ、きっと「心のありか」が再び必要になってくるはずだ。かつて集落や鉄道・駅舎が担っていた役割が。
そこには人と人のリアルな対話があり、自己との対話もあるだろう。そのためには、どれだけ縁を紡いでいけるか、どれだけ自己との対話を深めていくことができるか。
それがこれから10年程度の、この社会に求められることなのだろう。
故郷を思いそんなことを考えた。
振り返れば、故郷は場所ではなく、自分の心だった。あの行き止まりの線路は、自分の心へと通じるホワイトロードだったのかもしれない。
その先に僕は、自分自身を見ていたのかもしれない。
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