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植村花菜 「トイレの神様」

幼少のみぎり、フェードアウトしそうでしない歌のエンディングの様に、繰り返し刷り込まれてきたことがあります。

それは「バチがあたる」という概念です。

ご飯を残してはいけない、●●を足蹴にしてはいけない、そんなことをすると「バチがあたる」からと。振り返ってみると、社会通念上の規範を教えてくれていたのだと思うのですが、あの時期は「ルール、規則」の類として理解をしていました。見えない「バチ」というものも怖くて、怖い思いをしないためには、一定のルールを守らないといけないと固く信じ込んでいた時代を思い出します。

この「バチがあたる」という概念も信仰と呼ばれるものの一種なのでしょう。では、信仰が生まれたのはいつのころなのでしょうか。

太古の昔、日本人の祖先は周囲の自然、森羅万象に神を見出しました。もしかすると自然に対する畏怖を意識したのが広義の信仰の始まりだったのかもしれません。

姿は見えないが大いなる存在、サムシンググレートもまたそういう感覚から生まれ出たのかもしれません。

心の拠り所として。

その「心の拠り所」は八百万の神の存在でもあり、それはありとあらゆる森羅万象に潜んでいます。その中のひとりがトイレの神様。

トイレを掃除するとよいことがある。というのは、トイレの神様を認知しているからこそ生まれた概念。

御不浄だからこそ、きれいに。そんな太古の昔の我々の祖先の思いが残っているのかもしれません。

だとすると、ちょっと嬉しい気がします。

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