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聖堂とヴェネチアとモランディ・その2<旅行記シリーズ>

(前回はこちら)

3・ローマを発つ (承前)


ローマの教会


 遺跡、教会、宮殿だらけのローマにも、近現代美術がないわけではない。現代アートを扱うギャラリーもあった。
 そのギャラリーは、カラヴァッジョの作品がある教会のすぐ隣にあった。クラシックのコンサートに出かけたら、オーケストラの休憩時間に突如としてフリースタイルラップバトルがはじまったときとまったく同じ異質さである。急に立ち寄るギャラリーに、現代アートを鑑賞するチューニングが自分にほどこせない。ローマの教会なんて見飽きてうんざりするどころか、当たり前すぎてもう意識にひっかかりさえしない、というレベルに達していなければ、なかなかみれたものじゃない。
 あるいはホワイトキューブの現代美術館もあって、そこではドローネーの回顧展をやっていた。ドローネーのテキスタイル作品がとにかく魅力的だったし、悪い展覧会ではまったくなかったのに、シャバシャバに溶いたチューブ絵の具を一層さらっと塗っただけの色使いの軽さは、ルネサンスの油絵の具の重厚な光沢を浴びまくっている真っ最中の目に物足りない。権威的な名品にすっかり取り囲まれた町のなかをぶらつくうちに、それら名品らは「こうあるべき」という規範にすりかわる。自分のような自信のない人間の耳に無言の指図がのしかかっている。


教会の壁面をよくみると、絵である。大理石じゃなくて、大理石模様の絵が描いてある。

 そういった圧力から逃れるように電車にのり、あまつさえ海さえわたってヴェネチアに来たのは、「ヴェネチア・ビエンナーレ」という、現代アートの大規模な展覧会を目指してのことだった。いわば"フェス"である。それこそ歴史も権威も非常に厚く背負っているこのフェスは、"いまアツい現代アートを集めました!"という機会ではない。むしろ、「ヴェネチア・ビエンナーレがなにをどう特集したか」が、これからの現代アートの潮流をつくる、ひとつのおおきな指針になる。それほどに重要な機会である。

 ローマを早朝に発って高速鉄道に乗り、お昼ちかくのヴェネチアに到着する。鉄道路はイタリアの大陸を離れ、ちょっと海を渡る。大陸とヴェネチア島はほんの少し離れているだけだが、このほんの少しが宿泊料や食事代をおおきく変える。
 同じ電車に別々に乗ったけんちゃんと、駅のホームで合流する。曇り空だが日差しは強く、雲間からするどく差し込んでくる光に目を細める。まぶしいものを見ると「すっぱい」と感じる。目がすっぱい。中学生のときに、夕日がまぶしくて「すっぱい」と言ったら訝しがられたので、それ以来人前では言わなくなったが、いまだに「すっぱい」と感じる。

4・ヴェネチア

 韓国ソウル一番の繁華街(そして若者の街)明洞(ミョンドン)に到着して感じたのは「なんだ、大久保じゃん」だった。ヴェネチアはそれでいうと、「なんだ、ディズニーシーじゃん」数年前すでに千葉で予習した町だった。


 ヴェネチアは、体内の毛細血管のように、曲がりくねった細い川に全体を覆われている。そういった地形の当然の要請として、路地もまた同様に複雑で、ここで鬼ごっこをするとたいへんおもしろいはずだが、実際にはスリがその遊びをしているので観光客にはありがたくない。そしてたいへんな混雑である。なにもビエンナーレのせいではなくて、単に世界有数のトップ観光地なので人が多い。有名なゴンドラ船頭はじめ、目立つ労働者はイタリア人なのだろうけど、ちょっとした商店、スーパーやスタンド、小さなレストランの小間使い、道のまんなかに屋台を出し、エリザベス女王や鬼滅の刃のTシャツを売る人など、多くの労働者はむしろ有色人種である。道にあふれている観光客のほとんどが白人である。白人があそび、有色人種が働く。景観はいつまでも、まさしくディズニーシーである。くさいもきたないもない。"地元の子供たち"もいないし洗濯物もみえない。原色もないし喧嘩の声もない。わくわくしてない人がいない。「コカイン・ナイト」や「殺す」、「スーパー・カンヌ」など、J・G・バラードの描いた"高級住宅街"の物語を思い出す。(前回"日付"の話をしたが、同様に、この旅行記には、連想した小説や映画の具体的なタイトルを常に薄く提示するという"ルール"がある)



 10月26日、人は多いが、水の流れる細やかな音があらゆるところでさやめきだっている。土地に坂はないけれど、石敷きの道に橋がかかるから、商店の荷物を運搬する人はやたらたいへんそう。電車やバスがない。車がない。移動は徒歩か船のみだ。
 決して大きな島ではないが、だからといって狭いわけでもない。先述の通り、道は複雑だし人も多い。ところが駅前発着の水上バスに乗ると、そこから歩いて20分ほどの場所へ行くのに1200円かかる。なのに船は超満員である。もちろん船には乗らず、人込みをかきわけ、道を折れるたびに橋があらわれるグネグネ路地の迷宮を進んでいく。石造りの建築が両側を挟む道幅は狭い。華やかな雰囲気に心は浮き立つが、道を間違え閑散とした路地に出ると途端に、見晴らしが悪く、空の見えない、閉塞的な光景はおそろしい表情をみせ、たちはだかる。
 どんなに道が複雑でも、方角さえ合っていればだいたいの場所に辿り着ける、という認識は間違っていた。この島では、橋がかかっているルートを選び続けなければならない。正しい方角でも、川に分断されたらゲームはやりなおしになる。

 一緒に行ったけんちゃんは、イタリアに暮らしているとはいえヴェネチアを訪れるのは初めてだという。ふたりで歩きながら、「人間の、生活のにおいがしないね」と、ナナメ視点でおもしろがる。なんだかんだ今年の秋にもまたヴェネチアに行くそうだけれど、このときには、「これはこれでおもろいけど、また行きたいって思えへんねん。こんなん厚みがないよ、奥行きがない。ここにおる人みんな役者なんちゃうんか。もっとばっちいのが好きやねん」と憤慨していた。


サン・マルコ広場

 おおきな名所でもあるサン・マルコ広場に到着し、けんちゃんと別れた。あとで聞くと、そのあとけんちゃんは散歩を続け、軽く飲んでから宿にむかって、夕方まで昼寝していたらしい。

 一方ぼくは、サン・マルコ広場に面したミュージアムで、ヴェネチアに遺るさまざまな芸術作品、宝飾品、宝剣や甲冑などの武具を眺める。それからドゥ・カーレ宮殿を訪れる。
 とにかく大きな建築である。ヴェネチアが水没したとき、壁や天井を傷つけることなくクジラは廊下を泳げるだろう。"宮殿"というと貴族の住居といったイメージだが、市役所とか裁判所とか地区センター公民館のたぐいとか、そういう使われ方をする場所だと思えば……いや、それでもあまりにもおおきい。なら昔のヴェネチア人は体がめちゃくちゃに大きかったに違いない。


伝わりますか、部屋の大きさ こんなサイズの部屋がたくさんたくさん続く。

 ドゥ・カーレ宮殿でのアンゼルム・キーファーの新作展が、ヴェネチア行きのおおきな目的のひとつでもあった。(そういえば初めて海外にいったとき、フランスはパリのポンピドゥーセンターでもキーファーの回顧展をしていた。)ひとつの大広間の壁面を、キーファーの絵がびっしり埋めている。その広間に一時間半はいただろうか。


伝わるだろうかキーファーのデカさが

 ヴェネチア・ビエンナーレは、"メイン会場"がふたつある。造船所跡と巨大な公園がそれである。それ以外にもさまざまな"パビリオン"が島じゅうに散っている。サン・マルコ広場そばでは、カルロス・カルパ建築のなかにアントニオ・ゴームリーの小品が並んでいる展示と、国ごとの"パビリオン"がいくつか。サテライト的な小さな展示空間をちょこちょこ覗くありかたで、私のビエンナーレ鑑賞がヌルッとはじまった。そしてすぐに終わる。もう夕方である。


居酒屋さん

 昼寝から戻ったけんちゃんと合流し、ヴェネチアのカジュアルなスタンディング居酒屋で軽食をとる。一品二品の総菜を指さして、飲み物とセットで頼んで、やいのやいの言い合ってから駅まで戻り、今度はなかよく並んで電車に乗る。だって島内のホテルは高くて泊まれるはずがない。電車で一駅、大陸側にわたって、大型ユースホテルのBuilding1へけんちゃんは戻り、僕はBuilding2にチェックインする。別々で予約をしたからしょうがないし、一人旅が好きなのでそれくらいがちょうどいい。
 二段ベッドがいくつも並んだ部屋は寝るためだけの静かな場所だが、ぺちゃくちゃぺちゃくちゃドイツ語で睦みあっているカップルがいる。そいつらが深夜、またぺちゃくちゃしはじめて、眠りを妨げられる。そののち、ふたりはがさごそベッドを出る。どこかに出かけてくれるのだと一瞬期待したのに、部屋から出ていかない。そうではなくてふたりでバスルームにはいる。しばらくして、男だけがバスルームから出てきて、男自身の荷物をあさる音が部屋に響く。探し物をみつけたのか、男はバスルームに戻る。10分ほどして、カップルはふたりそろってバスルームから出てきて、それぞれのベッドへ戻り、静かに寝息をたてはじめる。

夜の町

 昨日夜こんなことがあったんだよ。たいへんなことですよ。なんてハレンチなの!朝の喫茶店で高くて小さいクロワッサンをケチくさく少しずつちぎりながら、けんちゃんに話す。けんちゃんは目を細め、僕のうしろの席の女性を観察すると、僕の話をさえぎって笑う。「あそこの人、うしろの、人、顔、ジュディス・バトラーに似てんねん。ええ顔や、こわい顔や。でもな、あんな、かしこそうな顔しとんな思って携帯みたらtiktokやってるやんけ、あほやんけ。あ、連れがきよったな、あれはあほやな。会話盗み聞いたろ。あほやで、あれは。ヒヒヒッ」
 もしけんちゃんの見た目や態度がもっと頑丈で、おおきく、整っており、威圧感さえあるなら、ほんとうにただのいやなやつだが、ほぼ魔力のない弱い妖怪のような存在感だので許してやれる。


5・ヴェネチア・ビエンナーレ



 朝10時から夕方18時までの開場時間いっぱい見てまわる、というのを二日連続で行って、それでも見切れなかった。とにかく膨大である。それほどの分量の作品を前にするうち、鑑賞体験の"質"がいつしかぜんぜん別のものになった。量が質に変わった。こっちの心持ちはあくまで、作品ひとつひとつを眺める視点であるはずなのに、気づけば別のとらえかたにシフトしていたのだ。
 車一台一台の運転状況を考えにいれると、渋滞という現象を考えにくい。水滴を水滴として認識することと、雨を雨として観測することはあんがい両立しない。雨の降るなかで、手のひらに受け取る何粒かを「雨粒」としてみているとき、周辺のなにもかもを濡らしている雨が、同様の粒の集合なのだと、頭で理解することはできても、そのようには感じられないはずだ。身体的に感じられる現象と、俯瞰的に把握する現象とに、同時にそれぞれ別の言葉をあてがってしまえる。ということは、言葉の使用者にとって、そのふたつが、まったく別のものとして記号化されている証拠である。量が質を変える。
 量が質に変わるタイミングがある。"ある閾値"を超えると急に変わる。まっすぐの鉄の棒に対して、両端から圧力を加えると、あるタイミングでいきなり曲がる。徐々に曲がりはしない。圧力の量がある閾値を超えた瞬間に、鉄の棒に与える効果の種類が変わる。


これはイタリアのパビリオン内の展示

 だからこれは、ヴェネチア・ビエンナーレに並べられていた作品ひとつひとつをくさすものではない。キュレーターの仕事を偉そうに評価するわけでもない。そうじゃなくて、もっとおおまかな話である。めちゃくちゃな量に窒息するなかで、"現代アート"の"現代アートらしさ"を、非常につまらなく感じたのだ。"現代アート"って、たとえば「モダニズム」とかと同様、どの時代でも使えそうな言葉を選んでおいて、結局ひとつのジャンルなんだな。「はいはい、これが”現代アート”ってやつね」と、"現代アート"の"味"をわかった気になった。同じジャンルのものを一日中×二連続で食べ続けて常に満腹でいて、その味に飽きてしまった。この店のメニューは豊富だし、確かにどれもおいしい。食材にも調理法にもさまざまなヴァリエーションがある。けど短期間でそのお店のすべての品目を食べたら、なんであれ、そのお店の食べ物はとうぶん食べたくない。見るだけでうんざりする。夕方のヴェネチアで18時をむかえ、もう二度と"展覧会"なんて行きたくない。ミュージアムなんてサイテーだ。"現代アート"なんてこりごりだ。ああ、空がきれいだなあ、犬がいる、かわいいなあ。広い野原で犬抱いて寝たい。食べて飲んで、それでいいじゃないですか。なにも、わざわざ、ほかのもの見に行かなくていいじゃないですか。

 そして懐かしく思いを馳せるのは、よりクラシックな作品のおだやかさである。"現代アートらしさ"というフレーバーを自分なりにつかんだから、それ以降に目にする現代のアート作品に対して、そのフレーバーを引き算して鑑賞できるようになりました。まあ、できてるのかどうかの確かめようはないけど、そういう気分でおります。




 現代を生きている作家の作品の一部に対して、"現代アートらしさ"を画面のなかにつめこんでいる側面があると受け取れるときがある。これは要するに土産物なのだ。美術館の土産物屋で売ってるポストカードみたいなもんだ。ザ・"現代アート"は、サイズ感やら消費電力やメンテナンスの手間や費用を思うと、個人で購入し、おうちに設置するのには向いていない。けれどイケてる。よくわかんないし派手だからカッコいい。ああいいなあ。そんな"現代アート"を所有したいなあ。という人にむけた"ジェネリック・現代アート"として流通しているタブローがある。

 教会や宮殿はおおきな特別な空間だ。そこに設置されている"作品"は、キャンバスの範囲だけで体験するものではない。台座の上だけの存在ではない。建築空間全体の雰囲気や規模感、位置や大きさ、ほかの装飾とのかねあい、お香のかおり、雲の流れに色の揺れるステンドグラス、その場所を訪れるまでの導線が与える心理的な影響など、まるごとがひとつのものなのだ。そこから切り離すのは無理である。
 あるいは宗教や観光、お祭りや名所など、あらゆる角度でいろんなひとが楽しんで、深いも浅いも真面目も不真面目もなく親しむ対象のことを"文化"って呼んだりもする。




 反対に、"文化的"という形容詞のつけられがちな"美術作品"はたとえば、美術館に行くような人しか行かない場所の、真っ白で真っ平な壁にぽつんと設置されている。さらに美術館の土産物屋には、文脈や歴史や素材や批評など小理屈を並べた本も並んでいる。「"見世物"なんて呼ばせない!」という気迫に満ちた"展覧会"を前に、(私が確かに感じたことを素直に無防備に口にしても、"よくわかってないやつの見当はずれな意見"として相手にされず、会話がはずまないのではないか)と心配して、結果、展覧会を出てひとこと「よかったね」程度でお茶を濁す人がいるのなら、こんなにさみしいことはない。




 "現代アート"が求める、時事や社会問題との接続や、サイズ・形式のインパクト、あるいは素材や技術の新規性などは、ホワイトキューブによっていろいろなものから切り離されてしまい、「作家個人の作品です」というツラがまえにならざるを得なくなってしまった"美術作品"が、その状況のさみしさをバネに、なんとかして、教会や宮殿での鑑賞体験のスケールや、地域のお祭りや伝承の質に戻ろうとしている"あがき"なんじゃないのか。"美術作品"じゃなくて、人間の生活のにおいと同体の"文化"を目指しているんじゃないのか。そういった同情心さえわいてきた。つまり「高尚で、一段高くて、一歩先にいってる」ではなく、「"それ専用の界隈にとじこめて、変わり者同士で交流しといてもらいましょう"つって隔離されたやつらが、"一緒に遊んでください、親しんでくださいよ"と懇願している」、そんなものとしてのアート。

 人間の生活のにおいが隠蔽された、ディズニーシーみたいな島でそんなことを思う。

(つづく)


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