田畑洋人 | Hiroto Tabata

デザイナー|茅ヶ崎を拠点に設計をしています。リトアニアやロンドンでも活動中。ロンドン芸術大学とThe Cass School of Architectureで学び、現在はHIROTO TABATA and ASSOCIATESを運営。写真が好きです◎

田畑洋人 | Hiroto Tabata

デザイナー|茅ヶ崎を拠点に設計をしています。リトアニアやロンドンでも活動中。ロンドン芸術大学とThe Cass School of Architectureで学び、現在はHIROTO TABATA and ASSOCIATESを運営。写真が好きです◎

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建築・写真・旅行記の話がメインです。デザイナーとして活動をする中で感じる理解や視点のシェア。また、ロンドン時代の建築講義の内容も少しずつ更新していきます。 ・

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そこには人がいる:建築家と写真家、そして、建築写真について。 (完全版)

はじめに 皆さんは、「自分」という感覚をもって、日々の出来事や人々、物事に向き合っているでしょうか。設計をするとき、シャッターを切るとき、誰かと対話をするとき——その瞬間に自分の「視点」は存在しているでしょうか。 私たちは日々流れ出る情報という「水」を、毎日疑うことなく飲み、日々体内に蓄積しています。スマホを見る、というのは既に情報を取り込んでいます。これは疑問ではなく、確信です。 こうした現状を前にして、私はふと考えます。 この実態を伴わない経験がどれだけ私たちの意

¥1,200
    • さいごに:人間らしさを再び

      多くの写真家はカメラの焦点を建築そのものに合わせがちですが、実際には人の存在が空間に彩りと生命を与え、生活の奥行きを生み出す欠かせない要素です。ノイズと感じる気持ちは私にもよくわかります。しかし、建築写真は、どのようなメディアの意図があろうとも、建築のイメージを世界に伝える重要な役割を担っており、その発する物語性に細心の注意が求められます。

      • 第8章|写真家の役割:固定観念を超えた感性を紡ぐ

        建築写真の影響力:空間の視覚的要約と市場価値

        • 第7章|生活の本質:建築と人々の姿

          ウィリアム・クライン:リアリズム探求が描き出す空間のリアル

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        そこには人がいる:建築家と写真家、そして、建築写真について。 (完全版)

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        • 子供を野に放つ。
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        • 「そこには人がいる」
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          さいごに:人間らしさを再び

          多くの写真家はカメラの焦点を建築そのものに合わせがちですが、実際には人の存在が空間に彩りと生命を与え、生活の奥行きを生み出す欠かせない要素です。ノイズと感じる気持ちは私にもよくわかります。しかし、建築写真は、どのようなメディアの意図があろうとも、建築のイメージを世界に伝える重要な役割を担っており、その発する物語性に細心の注意が求められます。

          さいごに:人間らしさを再び

          第8章|写真家の役割:固定観念を超えた感性を紡ぐ

          建築写真の影響力:空間の視覚的要約と市場価値

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          第7章|生活の本質:建築と人々の姿

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          第6章|現実の本質:建築写真が描く人々の住まい

          ジュリアス・シュルマンとライフスタイルの表現

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          第5章|建築家のビジョンと写真家の役割

          建築家は人々の生活を見据え、住空間や公共空間を設計します。その背景を無視し、ただ構造美や素材の魅力のみを追求することは、建築の意図を一面的に捉えるにすぎません。建築写真は、人の気配やその場のスケール感を映し出すことで、空間の魅力を伝える役割も持つべきです。しかし、多くの場合、写真家はシャッターを切る瞬間が役割の終わりであるかのように振る舞い、そこに生きる人々の存在を意図的に取り除くの傾向があるように思います。エルウォールの著書『Building with Light: The

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          第4章|人々はどこへ消えたのか?

          建築写真から排除される人々の存在

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        記事

          写真と自分|五感を用いた情報化

          養老孟司先生の著書『子どもが心配』を読んでいて、私のテーマである「写真の影響力」と重なる部分があったため、ここにノートしています。 この著書は、現代に生きる子供たちの環境がどうあるべきかという論点をもとに、様々な専門家と養老先生が対談されている内容です。 第二章の中で「五感を用いた情報化」というフレーズが出てきました。写真を撮るという行為は、まさに五感を用いた情報化そのものだと感じます。撮影時には、視覚だけでなく、その場の感覚も無意識に影響を与えています。 これら五感で

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          第6章|現実の本質:建築写真が描く人々の住まい

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          第5章|建築家のビジョンと写真家の役割

          建築家は人々の生活を見据え、住空間や公共空間を設計します。その背景を無視し、ただ構造美や素材の魅力のみを追求することは、建築の意図を一面的に捉えるにすぎません。建築写真は、人の気配やその場のスケール感を映し出すことで、空間の魅力を伝える役割も持つべきです。しかし、多くの場合、写真家はシャッターを切る瞬間が役割の終わりであるかのように振る舞い、そこに生きる人々の存在を意図的に取り除くの傾向があるように思います。エルウォールの著書『Building with Light: The

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          人工と自然、共生のドラマ

          とある日の帰り道、鵠沼海岸を自転車で通り過ぎようとすると、堆積した砂の山が目に飛び込んできました。風が運んだ砂、そして人工物の隙間から漏れ出す自然の風景。その風景に刻まれるの、人々の足跡。

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          北欧で感性に触れた朝。──レヴェレンツの記憶をたどって

          写真というメディアは、時間を超越し、私たちに知識をもたらしてくれるもの。しかし、それは目に見える情報だけではない。 写真には、その空間の感覚や、背後にある思考や記憶も記録されていると、僕は感じています。 シーグルド・レヴェレンツの足跡をたどる ある凍えるように寒い早朝、ストックホルムの静かな郊外にある島、ユールゴーデンを訪れました。ここには、スウェーデンの建築家シーグルド・レヴェレンツが、1912年のオリンピック競技のために設計したボートハウスクラブがあります。 この

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          第3章|操作:「映える」ことの歴史は建築家の想像力を削り取ってきた

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          第2章|曖昧な境界:建築写真の歴史と変革

          写真技術の黎明期:建築と写真の出会い

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          「日常」を「非日常」とする意味

          妻の故郷であるリトアニアの田舎に3ヶ月滞在し、帰国したときの話。笑い話のようですが、日本に戻った瞬間、すべてが眩しく感じられたんです。 この眩しさというのは、都会の華やかさや憧れからくるものではなく、物理的な照明の眩しさのこと。リトアニアでは、ほぼ自然光のみで生活していました。朝日とともに起き、昼間は日光を楽しみ、夕暮れを見送ってから、夜の時間を静かに迎える。夜間の照明も控えめで、間接照明がぽつりぽつりと灯る程度です。空調もなく、自然の気温に身を任せ、寒暖を衣服で調整すると

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          「知りたい」と「知る」までの「間」─子どもの好奇心と学び。

          早速、建築写真の話とは少しずれてしまうのですが、「情報」に形作られた現代社会の影響について、私たち大人だけではなく、子どもたちへの影響も必然的に考えてしまいます。他記事のグランドツアーの話にも少し関連するもので、娘には「知りたい」と「知る」までの「間」をしっかり自分の頭で考えて経験し、「不便」をして「便利」を上手に利用してほしいと、切に思います。 というのもその「間」を、ショートカットして失われる心身への影響はどれほどのものなのか、何となく身体的に感覚で感じるものがあります

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          第1章|視覚情報の消化不良

          はじめに 皆さんは、「自分」という感覚をもって、日々の出来事や人々、物事に向き合っているでしょうか。設計をするとき、シャッターを切るとき、誰かと対話をするとき——その瞬間に自分の「視点」は存在しているでしょうか。 私たちは日々流れ出る情報という「水」を、毎日疑うことなく飲み、日々体内に蓄積しています。スマホを見る、というのは既に情報を取り込んでいます。これは疑問ではなく、確信です。こうした現状を前にして、私はふと考えます。 この実態を伴わない経験が、どれだけ私たちの意思

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          写真家と建築家、建築写真について

          はじめまして、田畑です。 神奈川県茅ヶ崎市で設計に携わりながら、写真の世界にも深く魅了されています。イギリスやパリでデザインと建築学を学び、現在に至ります。写真は独学ですが、素晴らしい写真家たちの撮影現場に立ち会う機会に恵まれ、その経験を通じて多くを学び、感じ取ってきました。 私のnoteでは、日常の雑談も交えながら、建築写真の歴史を振り返り、建築家と写真家の関係性やその思考の深さについて考察します。撮影技術に偏るのではなく、写真が建築作品にどのような文脈を与え、新たな理

          写真家と建築家、建築写真について