見出し画像

「知りたい」と「知る」までの「間」─子どもの好奇心と学び。

早速、建築写真の話とは少しずれてしまうのですが、「情報」に形作られた現代社会の影響について、私たち大人だけではなく、子どもたちへの影響も必然的に考えてしまいます。他記事のグランドツアーの話にも少し関連するもので、娘には「知りたい」と「知る」までの「間」をしっかり自分の頭で考えて経験し、「不便」をして「便利」を上手に利用してほしいと、切に思います。

というのもその「間」を、ショートカットして失われる心身への影響はどれほどのものなのか、何となく身体的に感覚で感じるものがあります。

1、スーパーでトマトを買う→それを食べる。
2、トマトを畑で育てる→収穫する→それを食べる。
 

表記上「トマトを食べる」という事実は一緒ですが、果たしてその経験の差は成長の過程、または大人になった際、何が違うのか

それついて、ここでは深く研究論文を参照しませんが、やはりそれについても私自身が考える、ということが大事なのだろう、と。それについて考えると、やはり辿るのは自分の幼少期の記憶になるわけです。

幼少期の記憶を辿り、絞り出てきたのは、「長野の田舎で叔父ちゃんとぶどう狩り」、「笹舟を作り側溝の小さな川に流して遊んだ」、「畑で植え体験」、「母と早朝の海へ出かけ蟹をとった」などの実体験の記憶。

仮にその経験がなければ、私は一体どうなっていたのか。目に見えないものですけど、それが今の自分の価値観や考え方を形作ったのは確かだろうと

追記;

今夏、私は第二の母国であるリトアニアの田舎で娘と3ヶ月を過ごしたのですが、日本ではiPadに夢中になっていた娘も、リトアニアでは野にある木苺をひたすら摘んで食べ、草原を駆け回り、友達と泥だらけになって遊び、なかなかお家に帰ってこないという日々を過ごしました。子どもたちは、本能でそれが一番大事なことだと自然に理解しているようにも思えました◎


いいなと思ったら応援しよう!