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写真と自分|五感を用いた情報化
養老孟司先生の著書『子どもが心配』を読んでいて、私のテーマである「写真の影響力」と重なる部分があったため、ここにノートしています。
この著書は、現代に生きる子供たちの環境がどうあるべきかという論点をもとに、様々な専門家と養老先生が対談されている内容です。
第二章の中で「五感を用いた情報化」というフレーズが出てきました。写真を撮るという行為は、まさに五感を用いた情報化そのものだと感じます。撮影時には、視覚だけでなく、その場の感覚も無意識に影響を与えています。
これら五感で感じたものが写真に反映されることで、ただの画像ではなく、撮影者自身の体験や感覚が込められた一枚となると思います。しかし、その後に続く「二次的な情報の後追い」というフレーズが印象に残りました。「自分の五感から入ってきたものを『情報化』せずに、誰かがすでに収集した情報をこれ幸いとばかりに重宝する」という部分です。
この短いフレーズには、現代の私たちが陥りがちな問題点が凝縮されていると感じました。特に、SNSが普及する現代では、「良い写真を撮りたい」という気持ちが、自分の視点から来るものなのか、それとも流行や他者の評価を意識したものなのか、曖昧になることがあります。人気の撮影スポットや「映える」構図に頼ってしまうことで、本来の自分の視点やオリジナリティが失われるリスクがあります。ここには難しい心理戦が隠れていると察します。また、撮影者がどのような「撮る人」であるかによっても変わってくるとも思います。
写真を撮る人
写真を撮ってみたい人
写真をなんとなく撮っている人
写真家である人
写真家で誰かのために写真を撮っている人
写真作家である人
写真に興味がある人
写真を見て楽しむ人
写真を通して物語を伝える人
写真を記録として残す人
これらの分類からもわかるように、写真の意味や価値は撮影者によって大きく異なります。特に、「自分の視点を持って撮影に臨むこと」は、現代において一層重要な意味を持っているように感じます。
私自身、どれほど「情報の渦」に巻かれ、影響をされているのか、見当もつきません。
自分の視点を持って撮影に臨む意味については、私の論文『そこには人がいる』の中で詳しく解説していますので、ここでは省略しますが、ご興味のある方はぜひ一度、論文に目を通していただければと思います。
最後に、誰でも簡単に撮影できる時代だからこそ、自分の感覚や視点を大切にすることが、これからの写真文化の豊かさにつながることは間違いありません。自分の五感や体験を通じて撮影することが、写真の持つ本質的な魅力を引き出す一歩だと信じています。