6月23日は、沖縄「慰霊の日」
1945年(昭和20年)6月23日は、日本軍の司令官が摩文仁で自決し、組織的戦闘が終結した日とされ、沖縄県が「慰霊の日」と定めている。最後の激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園では、今年も沖縄全戦没者追悼式が行われた。
今年(2024年)は戦後79年。平和の詩が朗読された。
1.平和だからできること
私は、沖縄に縁のある人達と集まり、献杯を行い、沖縄について話した。慰霊の日に集まるのは、特別な事ではない。今ある平和に感謝し、人とのつながりを喜び、現在も続く課題について、自分にできる事を話す。それは、平和だからこそできる事だし、平和を守る行動のひとつでもある。
2.悲しむには何が必要か
戦没者追悼式の岸田首相の挨拶中、なにか騒がしい。ヤジだ。平和集会でヤジを飛ばすのは、荒々しく平和的行動でないように感じるかもしれないけれど、黙って聴く事だけが平和的行動ではない。黙っていたら、搾取される。主張する事も、平和的行動だ。
ヤジを飛ばす事で、岸田首相と日本政府に伝えたい主張は何なのか。それが分かりにくいのが課題だ。ヤジに込められた主張を明確に伝えられたら、ヤジは国民の声となる。
平和の詩にも、ヤジにも、共通する主張があるはずだ。
自分の命を生きる事。大切な人達と過ごし、安心して暮らす事。
沖縄の自然を、自分たちの暮らす土地を、壊さずに、守って。
沖縄を傷つけないで。沖縄を守って。沖縄を大切にして。
当たり前の平和のもと、当たり前に暮らしたい。
漠然とした不満や怒りや悲しみは、声にならないけれど、確実に人々の内側にある。それを明確にする事は、辛さや不快を引き起こす事もある。日々の暮らしに忙しく、内側を見つめる余裕もないかもしれない。見ないように、思い出さないように。自分と暮らしを保つために。
個人の内側と外側の分断は、沖縄と国の分断や、沖縄県民と日本国民との分断と同じ構造を持っていたりして。
個人の自己責任であると言いたいのではない。
個人が、暮らしが、しっかり守られていない。
それが、ひとつの課題だと私は思う。
安全でなければ、悲しめない。
沖縄は、悲しむ余裕を奪われ続けている。
悲しみは消えず、79年の間、続いている。いや、戦前も、戦中も、戦後も。たくさんの悲しみを経験してきた沖縄だからこそ、主張を簡単にまとめられないし、まとめられてたまるかという思いもあるかもしれない。ヤジにはまだ言葉になっていない悲しみが含まれている。
怒りの裏には、悲しみがある。しっかり悲しむには、何が必要か。安心、安全、時間、理解してくれる人とのつながり。ほかにもあるかもしれない。安心して悲しむために必要なものが、沖縄が求めているものかもしれない。
3.知る事は、平和への行動
沖縄県知事の挨拶では、日本語はもちろん、うちなーぐちと英語での挨拶もあった。日本語しか知らなければ、内容は分からない。でも、分からないと文句を言うよりも、何を話したのだろうと興味を持ち、知ろうとする事。すべて説明されるのを待つのではなく、自分から近づく。それが、相手を知る事であり、平和への行動であると言われたようだった。
どんな入口でもいい。美しい海が好き。沖縄の文化が好き。南国の気候も、食べ物も、音楽も。沖縄に興味を持てたら、沖縄は知らない場所ではなくなる。沖縄に住む人と友達になったら、沖縄は知らない場所ではなくなる。
沖縄も茨城も、日常の延長線上でつながっている。
そこには、日常生活がある。
戦争体験も、基地負担も、経済負担も、台湾有事の危険も。家族や友達や恋人との楽しい時間も、新たな命も育まれている。
沖縄について話す時、簡潔に分かりやすく伝えたい事を伝えようと試みるけれど、いつも上手くいかない。
ただ課題を大声で伝えても、なんだか面倒な話だと思われて、無関心を引き起こす。それは、つながりを絶つことになる。そんな事は望んでいない。
100%の悪があれば、分かりやすいけれど、そうではない。
例えば、基地について。
基地は、有事の際に守る拠点でもあり、狙われる拠点でもある。基地があるから、守られる。基地があるから、狙われる。
基地は、軍事基地であり、生活拠点でもある。戦闘機もあれば、住居や学校やスーパーもある。そこには、人が暮らしている。
課題は多岐にわたる。矛盾や葛藤もある。
簡単に説明できない。それでも、伝える事を諦めない。
単純に平和を望んでも、平和は実現しない。
それでも、平和がなければ、すべての課題は解決しない。
禅問答のようだ。
小さな視点では、個人の安全が守られること。
大きな視点では、地球全体が守られること。
4.知れば、気になる
私はうるま市に住んでいたけれど、宮森小学校米軍機墜落事故(1959年6月30日にアメリカ合衆国統治下の沖縄・石川市(現:うるま市)で発生した米空軍機による航空事故)について、恥ずかしながら詳しく知らない。これからも沖縄について学び続ける。
ある当事者の言葉。
知らないことは、差別だ。
この言葉は「知ろうとしない事は、差別だ」と言い換える事もできる。知らなかった。それは、言い訳にならない。知らない事を、知らないままにするのは、無視するのと同じ。存在を否定するのと同じ。
すべてを知る事はできない。知らない事は無限にある。
自分は無知である事を自覚し、知ろうとする。
知らないことを知らないこと、も差別だ。無知は差別だ。
沖縄の地上戦や集団自決、アメリカ統治下時代と本土復帰後の歴史。心が苦しくなる事は、知りたくない人も多いかもしれない。
知らない事は差別だと言われたら、なんだか責められているようで、さらに知る事から遠ざかってしまうかもしれない。でも、無視して、なかった事にはしないで。その時代を生きた人達を、消さないで。その人達が平和を獲得してくれたから、今の生活がある。
今、この瞬間、平和に過ごせている事に感謝する。平和や幸せを自覚する。平和は当たり前ではない。当たり前の幸せを守り続ける為に、自分にできる行動を続ける。
同じ場所で、同じ時間を過ごしても、感じている事は違う。異なる意見はあっていい。そこで生まれ、住んでいても、知らない事もある。知ろうとしないと分からない。知れば知るほど、無知である事を知る。だからこそ、私は調べる。離れていても、できる事はある。
私が沖縄で体験した事は、ほんの一握りの沖縄だ。一個人の偏見に過ぎないけれど、良い事も、悪い事も、分からない事も、私のできる限りの語彙力で伝えられるようになりたい。難しかったり、想像できなかったり、責められているように感じると、思考は停止する。課題を、大きくて手に負えない得体の知れないモノから、細かく嚙み砕いて、想像できるように言語化する。
沖縄と私はつながっている。
私の日常の延長線上に、沖縄はある。
そこには、友達や、子ども達がいるから。
歴史上の出来事や、政治の話だと思うと、自分とは別の世界のように感じるかもしれないけれど、そこには人が住んで、今を生きている。
むしろ知識よりも、人との縁がつながる方が、課題解決に近づくのかもしれない。知り合いが困っていたら、何かできる事はあるかなと考えやすい。
知識と縁がつながると、他人事から自分事になる。
だから、私は友達同士をつなげたい。
全員が大親友になる必要はない。縁がつながれば、お互いの住む場所が、知らない場所から、知り合いが住んでいる場所に変わる。心理的距離が近くなり、情が生まれる。それがとても尊い。
知ってしまえば、差別はできない。
友達が困っていたら、助け合う。無視はできない。何ができるか考えて、行動する。そういう人達と、私は生きていきたい。
平和に暮らせる幸せを喜び、日常の延長線上にある課題を知り、学び、伝え、縁をつないでいく。それが、私にできること。
以下の記事は、沖縄について書いています。
読んでくれたら嬉しいです。
ひとりひとりが平和でありますように。