「いいんじゃない?」
その言葉は、自分にも言えていないと、きっと言えない。
私から見れば、山下先生の人生は迷走ではなくて、目の前に現れた課題に、自分にできる行動と選択で取り組んできた逞しい歩みだ。
そして、人生に迷走しているのは、私だ。
1.コスモス村へ行く
私は2019年3月に15年勤めた仕事を辞めて無職になり、それこそ迷走中だった。Yさんにコスモス村の研修を勧めてもらい、修復的対話も、山下先生についても、ほぼ何も知らないまま、2019年5月に長野県を訪れた。無知な私を穏やかに受け入れてくれた山下先生と、縁あって共に学んだ受講者の皆さまに感謝しています。
コスモス村に咲いていた花は、とても自然に咲いているように見えたけれど、数年に渡る試行錯誤の賜物だったのだと「迷走ソーシャルワークのラプソディ」を読んで知った。
修復的対話について学んだ後、日記にこう書いていた。
2.コスモス村、ふたたび
2019年11月、山下先生とクリス村長に会いに、ふたたびコスモス村へ。
3.子どもの居場所
その後、2020年に沖縄へ移住し、子どもの居場所で働いた時にも、山下先生の本に学び、支えられた。
4.いいんじゃない?
2024年、また無職になってしまった。
私は、あいかわらず迷走人生を歩んでいる。
山下先生の生き方は、
私にも「いいんじゃない?」と言ってくれている。
私も自分に「いいんじゃない?」と言おう。
そう言えるからこそ、また立ち上がろうと思える。
うまくいかない時があっても、生きている。
それは、自分ひとりで生きているわけじゃないということ。
人生、何が起きるか分からない。
それでも、その時の最善を尽くしたり、怠けてみたり、どんな生き方でも、いいじゃないかと自分自身を許せたら。誰かが困っていたり、悩んでいたり、自信を失っていても、「いいんじゃない?」と言えるようになるんだろうな。
大事なのは、言葉よりも、行動。
「いいんじゃない?」と言ってくれる人自身が、迷走する事もあるけれど、自分で自分の人生を決めて行動していれば、信頼できる。どんな生き方を選んでも、自分で決めて行動すれば、人生は大丈夫だという生きた証拠となるから。その人の生きざまが、相手に伝わる。
「いいんじゃない?」は、無責任な言葉ではない。
相手が、自分で決めたことを応援すること。やりたい気持ちや、その答えを導き出した事に敬意を表し、尊重すること。挑戦した事がない人は、挑戦者を笑うらしい。何かをする時に、リスクがあれば止める。それは、堅実に生きる術でもあるし、以前の私はそれを美徳としていたくらいだ。でも、今は、ちょっと違う。上手くいかない事もあったけど、沖縄移住に挑戦して良かったから。私も、挑戦を応援する人になりたい。
やってみて、もし失敗したら、その時にサポートする。
サポートするという覚悟が決まっているからこそ、言える言葉でもある。失敗しても見捨てないという覚悟が「いいんじゃない?」の後ろにあるからこそ、相手は心強いし、勇気づけられる。
子どもだけでなく、親や先生などの大人、そして、現在、迷走中の私にも、これらの言葉や態度は、支えとなる。何度でも立ち上がれるように、サポートし合える仲間と生きていきたいし、私もそういう人でいたい。
さて、ここから、どうする?
この本の裏表紙には、こう書いてあった。
「道草をすると、新たな景色が見えてくる」
道草しながら、生きていこう。どんな道も、いいんじゃない?
【コスモス村の講座については、こちらをご覧ください。】
クリス村長の写真が付いた「コスモス村 村民証明書」を、今も大切に保管しています。
おわり