#11 言葉がアプリになったとき
おはようございます、こんにちは、こんばんは。
ある日、夕方くらいに外へ出ていた私の近くに、たまたま小学校の高学年くらいの子が二人いました。その様子は遊びか、学校かの帰り際だったように思います。
彼らは帰って何をするか、明日はどうするかを簡単に話して、「じゃ、また明日な!」と小学生の一人が言うと、もう一人が「いや違う。またLINEでやで」と返しました。そのまま二人は「また後で」と言って帰っていきました。
私はっとさせられました。
今の小学生は、家に帰ってもつながっているのです。自分が子供の時だったら、考えられません。(現在20代半ばではありますが。)
小学校6年生のころ、卒業記念ということで、ガラケーを持たせてもらいました。これでもかなり早い方かもしれませんが、当時の子供たちの中では私よりもすでに持っている子もいました。
オンラインゲームができるPCもあったわけではありませんので、もちろん、「また明日、学校で」が普通でした。
ガラケーを手にした私はすぐに、クラスメイトとメールアドレスを交換しました。学校にいる時は話し相手に困らなかったのですが、放課後は一人になることがほとんどだった私には、家でクラスメイトと会話ができるのは革命的でした。
手紙じゃなくても、自分から呼びに行かなくてもメールができる!と内心嬉しかったのでした。
特に、女子がメールを返してくれるのが嬉しかった無垢な小学生でしたが、上手く距離を縮めるには至らず、ほどなく私のガラケー熱中時代はさり、中学校に進学しました。
今の学生は、小学校のころから教員から、学校からの連絡網がLINEにまとめられているようで、LINEの導入を親はもちろん、子供に推奨していることも多いそうです。
それがいいか悪いかどうかは、また別問題かもしれません。小さい頃から、クラスメイトが作る空気を大人が介入しない場を作れ、言語として可視化できるのは、かなり野生的で凶器的でチャレンジで、既定年数いないといけないので会社よりもハードかもしれません。
だれが責任を取るのでしょうか。
ますます、新一年生というキャッチコピーで子供がCMに映る時、手に持っているのはランドセルではなく、スマホ、なんてことも案外嘘ではないのかもしれません。
最後までお読みいただきありがとうございます。
実際には「またLINEで」のような感じになったのは専門学校に入ってからでした。僕ら世代は、高校ではLINEが普及していたので、テスト期間には、謎の通話勉強が流行っていたそうです。
信じられないなんて思いつつも、
大人になる少し前にiPhoneやオンラインゲームが当たり前になりつつあった世の中で育った私も、どんな形であれ”繋がり”がないというのは、夜の部屋に灯りがないのと同じなのかも知れません。