見出し画像

【創作】フランシスコ会修道士ロレンスの手記②/シェイクスピア「ロミオとジュリエット」より

フランシスコ会修道士ロレンスの手記


権勢を振るう両家がそれぞれ集団徒党をかたちづくり、その車輪が軋みながら回り出すとき、生じる音は車輪自体の重みゆえであろうか、それとも車輪に轢かれゆく哀れな一人の声なき声であろうか。個は虚空から生じるのではない。悠久たる大地から、連綿の歴史から、由来ある名前から生じる。そのつながりは誇りであり絆である。ああしかし、絆を装う鎖のなんと多いことであろう。お前のためだ、これが君の本地だとの言い分で、何とむごたらしく多くの人が鎖で首を絞めつけられてきたことか。清々しい空気を与えねばらならないのに。それが人類の歴史だともいう。それが神意か、ならば私はその招待状を受け取ることを拒否する。……我が信仰は揺らいでいるのか。

車輪を回すは誰か、当主ですらない。そこに問題がある。キャピュレットが胸をそらして、「しかし、モンタギューもこの身同様誓った、違約の罰も平等だ、だが、吾ゝほどの老人には、平和を守ることはさほどの難事でもありますまい」と言った姿が目に浮かぶ。ロミオを目にしていきり立つティボルトに対しキャピュレットは、「そこを我慢しろと言ふのだ。おい、どうしたといふのだ?わしの命令だぞ、我慢するのだ。待て、この邸のあるじは誰だ、お前か?」と制止したが、結局は止められなかった。平和は守られなかった。集団徒党の頂点に立つといえどもその力は絶対ではなく、構成する人員を統御しきれない。これが集団徒党危険の定義だ。腕が頭なしに動き出す。絶対権力の当主なら、その権限権能が明瞭なら、対比的にはむしろ危険が少ない。一人一人を守る統合体は、諸個人がその地位と役割をもとに高度にアーティキュレートされた組織なのだ。しかしこの論理は常人には見えにくく飲み込みにくい。並みの高度さでは届かない。不透明不明瞭な人と人の関係性が発する毒素は、すべてを窒息させていくのだぞ。


回りだして動き始めた両家憎悪の車輪は、ティボルトにマキューシオを殺させ、ロミオにティボルトを殺させ、そうしてジュリエットに迫ったのだ。

当初、キャピュレットはパリスに悠然と言っていた。「娘はまだ世間見ず、十四の春すら迎えてはおらぬ、せめてあと二回、夏の盛りを過ごさねば、花嫁にふさはしい年頃とは申せますまい」「しかし、娘を口説かれるがよい、パリス殿、あれの心を掴むことだ、娘の気持次第、年寄の意向はほんの添物に過ぎませぬ、娘さへ承知なら、その選択にこの身は同意、喜んで受け入れてやる積りでおります」と。

ところが、ティボルトの死がすべてを変えてしまう。キャピュレットは気がふれたかのようであった。漏れ伝わってきたキャピュレットの言葉はこうだ。「何を言ふ!気が狂いそうなのだ。昼夜を問はず、仕事があらうと無からうと、一人の時も人と一緒の時も、俺の気苦労と言えばこれに良い婿を当てがふ事だけだった、それが今、家柄はよく、領地も広く、若くて躾の良い、いはゆる三国一の、男として何一つ欠ける所の無い婿を当てがはうとすれば ――罰当たりの阿呆め、この泣虫が折角の幸福を掴もうとせず、「結婚は厭だ、好きになれない、まだ齢がゆかぬ、なにとぞお許しを」などとぬかす。だが、結婚したくないのなら、よろしい、許さう――好きな所で草を食め、この家には置いておかぬ。よいか、とくと思案しろ、俺は冗談を言つてゐるのではない。木曜日はもう直ぐだ。胸に手を置き、よく考えてみろ。俺の娘ならば、パリス殿にくれてやる、さうでないなら、首を縊らうと、乞食に身を落さうと、餓ゑて野たれ死にしようと好きなようにするがいい、誓って言ふが、貴様を決して吾が子とは思はぬ、また何一つ貴様にはやらぬ、本気だぞ、よいな、俺は誓ひを破らぬ男だ」。

妻の甥ティボルトがヴェローナ大公エスカラス公爵の縁戚にあたるマキューシオを刺殺するなど、目も当てられないスキャンダルであったろう。キャピュレットは精神の平衡を失ってしまった。これらから生じるであろう苦境の数々が脳裏を巡り、理性を縛る恐怖を引き起こしたからだ。大公との決定的対立を避ける隘路突破の道は、エスカラス公爵の縁戚たるパリスと親戚になること、自らが大公と縁戚関係を取り結ぶことしかない。急げ急げ、節操なく急げ、甥が死んだ、葬儀もまだだ、いや婚礼だ、三日後だ、か。守ろうとするキャピュレット家とは一体なんなのだ。

そうしてジュリエットはどうなる、どうなった。

乳母はジュリエットを「小羊さん」と呼ぶことがあった。思い返せば不吉な呼称。犠牲に屠られるはいつもたった一人の小さきもの。




【参考文献】
・シェイクスピア(福田恆存訳)『ロミオとジュリエット』新潮文庫(Kindle版),1996.  *本文中の引用(「 」)は同書より。
・実村文「“the most suspected of this direful murder”—『ロミオとジュリエット』における修道士ロレンスの罪と罰—」明治大学教養論集,389巻,85-102頁,2005.
・下村美佳「ジュリエットの抵抗 : 『 ロミオとジュリエット』における攪乱の契機」埼玉学園大学紀要人間学部篇,11巻,29-38頁,2011.
・五十嵐博久「『ロミオとジュリエット』にみられる法廷的思考(forensic thinking)傾向について」東洋大学人間科学総合研究所紀要,20号,75-96頁,2018.
・鶴田学「感染症の時代に読み直す『ロミオとジュリエット』」英文学研究 支部統合号,14巻,231-239頁,2022.
・木庭顕『新版 現代ローマ法案内 ――現代の法律家のために』35頁,勁草書房,2017.






いいなと思ったら応援しよう!