安静
先週、久々に体調を崩し、一日だけ安静にしていた。
この、「一日安静にする」という過ごし方、私は久々に経験した。
かつてのコロナ禍でさえ、特に体調を崩したことのなかった私にとって、一日安静にしていたのは何年ぶりだろうか?
自分でもどう捉えていいかよくわからない、そんな感覚だ。
何はともあれ、一日でほぼ復活したのは幸いだった。(症状としては軽い胃腸炎)
さて、病気になる・ならないは運もあるため、何とも言えないが、なんとなく1月の疲れも出たのではないか?と思っている。
今月はそうでもないが、先月はとにかく疲れていた。
それが今になってドッと溢れた、そんな感覚だ。
また、寒波やら何やらで極端な気象も続き、ただでさえ体調を崩しやすい状況である。
やはり、疲れは日頃から溜めないに越したことはない。
それでも病気にかかる時はかかるけれど、疲れを溜めるのは当然ながら良いことではないのだ。
一日安静に過ごし、ぼんやり色々なことを考えた。
いろいろあった年末年始や先月のことを、もう一度振り返った。
深く考え込まないように注意はしたが。
(体調の悪いときに余計なことは考えるべきではない)
懐かしい夢も見た。
10代の頃、それこそ胃腸炎になって寝込み、メンタルまで気弱になったことをぼんやり思い出した。
若かったなあ、などと、呑気に思い返した。
一日安静にする。
意外に悪いことだけではないかもしれない。
また、ニュースはほとんど見なかった。
気分の悪いときに気の滅入るようなニュースなど見たくもない。いらない。
体調が悪くなると、「見たくもないものは見ない」という行動を自然に取る。
これは実は大切なことだ。
ストレスを溜めないためにも、「見たくないのに見てしまう」という癖はやめるべきだ。
体調の良い・悪いに関係なく、「見たくもないものは見ない」という習慣はある程度つけたほうが良い。
もちろん、極端に何でもかんでも自分の好きなものだけを見ると、人は成長しにくい。
特にニュースは、見たくないニュースも含め、ある程度チェックし、世間の流れを知っておくべきだろう。
ただ、見たくもないもの・見る必要のないものを「無理やり」見ようとするのもまた、ストレスを溜めるだけだ。
などと、話がどんどん脱線するが、こんな脱線話を書けるくらいにはだいぶ本調子になったと感じる。
久々の安静。
人間、体調を崩したからこそ気づくことも多い。
先週は有意義だったのかもしれない。