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「いつ死んでも悔いはない」という死生観

私は昔から、「いつ死んでも悔いはない」という気持ちが強い。
物心ついた頃から割とこういう考えだ。

別に何か宗教的な思いがあるわけではない。
私は宗教思想を持たないし、生と死について宗教的に向き合うつもりもない。

ただ昔から「いつ死んでも悔いはない」という気持ちが強く、日々を過ごしている。

しかし、こういった死生観に関する話をすると、顰蹙を買うことがある。
命を粗末にするのか?などと思われることもある。


断っておくが、私は命を軽視しているのではない。
ただ単に、人間はいつ死ぬかわからないのだからいつ死んでも悔いのないように生きろ、と自分で思っているだけだ。
むしろ、私は日々の生を大切にしている。
少なくとも自分ではそう思っている。

いつ死んでも悔いのないよう、きちんと今を生きろ、生を精一杯味わえ、そういう理屈だ。
生にしがみつくわけではないが、「いつ死んでも悔いのないように生きろ」という思いは、自然と今の生を大切にする気持ちに向かう。

しかし、私のこの死生観の話をすると、高確率で顰蹙を買いやすい。
少なくとも現代社会では。


コロナ禍で、この死生観の話をインスタで書いたことがある。
あまり印象はよくなかったらしい。

私は他人の死生観を否定しない。
ただ、私が持つ「いつ死んでも悔いはない」といった死生観を否定する人は多い。
それに関して特に何も思わないが。


物心ついた頃からそういう死生観になったのは、何か理由があるのか?とも言われる。

が、おそらくそれといった理由はない。
物心ついた頃からそういう考えなのだから、大きな理由はないだろう。

例えば、幼少の頃に特別ショッキングな出来事に遭遇し、死生観が変わってしまった、といったこともない。


何が言いたいかというと、生と死に関する感覚は人によって大きく異なるということだ。
そんな当たり前の発想も、現代社会では受け入れられないのだろうか。


「いつ死んでも悔いはない」というのは単なる強がりだ、
と言われたことがある。

正直に言うが、意味がよくわからなかった。
物心ついた頃からの気持ちに、強がりも何もない。

しかし現代社会では、自分の都合の良いように解釈する人間が多いようだ。
それはそれで生きづらい気もする。

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