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卒業証書授与式

卒業式への参加

一本の電話からだった。「高校のものですが息子さんはいらっしゃいますか?」と、「まだ帰宅していない様です」そう答えると、何やら言いにくそうに言葉を選んで話しているのがわかった。「卒業式の件でお母様と話したいのですが、お兄様ですか?」「いえ、父です」と言った途端。安心した様に話し始めた。

23/3月の卒業式での挨拶について、うちの子供が卒業生代表で答辞を述べること。その後に、親代表としての挨拶の打ち合わせで電話したこと。コロナで一家族、身内一名のルールになっているがお父さんも参加されませんか?と誘われたこと。そして、卒業式の日は午前中は時間が取れる日だった。

終業式が終わっても、勉強なのか練習なのかで、子供が学校へ行っていることはわかっていた。が、いちいち高校生が父親に説明などはしないし、コロナで一家族、身内一名のルールは知っていたので参加しないものだと思っていた。

卒業式当日

朝から支度をし、学校へと向かい体育館に着く。式次第を見て待っていようとしていたら、電話が鳴った。親の介護でお世話になっているケアマネジャーさん。一方的に要件を伝えられ電話を切ると時間になった。

卒業式挙行

学年主任の先生を先頭に、担任の先生、各クラスの卒業生と入場。校長先生の宣言のもと卒業式が始まった。

式自体は、かなり簡略化され、卒業証書授与も学年で1人だけ校歌もみんなで歌うのではなく一番のみを聞く。あっという間に式は進み、在校生送辞が終わりいよいよとなった。
以下に答辞の全文を録音したものを文字に書き起こした。

卒業生答辞

答辞

校庭の梅の花が鮮やかに咲き、春の息吹を感じる季節になりました。僕たち卒業生は今日高校を卒業します。僕らはコロナの流行と共に入学し、コロナがインフルエンザと同じ扱いになる年に卒業します。本当にコロナいっしょくの高校時代だった。入学して2ヶ月間学校がなかった。夏山体験学習は中止になった。修学旅行は一泊2日に短くなって、3年になって初めて文化発表会を体験した。他の学年の人が経験できることを経験できなかった。でも、先生達が学年行事をたくさん用意してくれた。ホテルのテーブルマナーに行った。遠足でバーベキューもやった。それから、グルメ企画。美味しいお店のリストを渡されて好きなところに食べにいけと言われた。ワクワクした、最後に青春18きっぷを渡された。「旅をせよ、自分を見つめよう」先生は言った。一年からずっと、先生等の工夫を凝らした手作りの行事が満載だった。経験は大事だ、はじめておもった。これが、僕らの高校生活。僕らはクラスメイトのマスクなしの顔を見たことがない。マスクは必須、検温大事。弁当は席で1人で食べる みんな揃って前向いて。熱があったら感染予防 学校を休む、濃厚接触何日間、感染したら何日間学校いってはいけません。無症状でも行けません。三年経つうちクラスの誰かが感染したり、濃厚接触も珍しいことではなくなった。でも、マスク越しだけど友達といっぱいおしゃべりしていっぱい笑いあった。一緒に体育をやって、ダンスをしてそして、恋愛もした。自分が今日も無事学校に行けて、友達も来て そんな、普通のことが嬉しいと、この3年で初めて知った。これが、僕らの高校生活。

僕らはみんな何かしら、不安を抱えて高校に入学した。勉強ができない、外国籍で日本語がうまく話せない、人が苦手で学校へ行けなかった。家族関係が色々。それにコロナが追い打ちをかけた。ソーシャルディスタンス、人と距離を取りましょう。1メートル以上離れましょう。学校に馴染んでいけるのか自信が余計に持てなくなった。でも、僕らは今、自分の成長を実感している。

卒業生の言葉を紹介したい。「人と話すのが好きになりました」「高校に入ってから学校の生活が楽しくなりました」「世界は思ったよりも広いことを知りました」「2年から友達も増えて色々あったけど、逃げることが少なくなった」「人見知りが少しだけ減った」「引っ込み思案だったけど積極的になった」「できなかったことに挑戦した」「友達や仲間がたくさんのことを教えてくれた」「中学生の時より掃除が好きになりました」「以前は流されて行動することが多かったが、自分の意思を持って行動するようになった」
やなことがあっても、通い続けること。人と同じ空間にいることが大事。それは、リモートでは味わえない感覚だ。これが、僕らの高校生活。ぼくらはコロナの学年だ。不自由なことはたくさんあった。それでも僕らの高校生活は、この3年間以外にはない。これが、僕らの、僕らだけの大切な高校生活だ。そうして僕らはこう思っている卒業のこの時に思っている。この時代にこの高校で高校生活をコンプリートできたことは一生の宝である。

最後に、親にお礼が言いたい。卒業生のみんなも心の中で「ありがとう」と言ってください。1人でここまで大きくなれたわけじゃない事を僕らはみんな知っているはずだから。中学で僕が学校に行けなくなった時、お父さんは理解があった。それに比べてお母さんは諦めなかった。あの手、この手を使ってなんとかして行かせようとした。本当に嫌だった。嫌で嫌で家出したこともあった。でも、今になって思う、諦めないでいてくれてありがとう。あの時、お母さんが諦めてしまっていたら僕はきっと、今日のこの日をこんな形で迎えることはできなかった。お母さんありがとう、僕のことを諦めないでいてくれてありがとう。名残はつきませんがお別れの時がやってまいりました。この高校が、これからも多くの生徒に経験と勇気を与える学校であり続けることを祈りつつ答辞と致します。
卒業生代表

聞き間違いなどあるかもしれません

さっきまで、楽しそうに話していた他のお母さん方の啜り泣く声が、あちこちから聞こえてきた。本文にもある様に、不登校や言語、家族、健康、学力など何かしら一般的ではない経験をした子供たちが多いので感じることも多々あったのだと思う。

家に帰って

少しだけ話をした。自分で考えて書いた文章が基本だけど、先生の手直しが多々入ったこと。中学で不登校を経験して、逃げた感覚があると教えてくれた。そんな子供にこんな言葉を伝えた。

「お前は逃げた、と感じているのかもしれないが、"本当の"危険が迫った時には逃げる"勇気"は必要なのだ」と、本当の危険がわからずに逃げなかったら怪我をするだけではなく、命がなくなってしまう事の方がとても悲しい。目の前に猛スピードで車が迫っているそんな状況を努力や勇気で止められるものではない。また、不登校という言葉を否定的な意味で語られることは多いかもしれないが、これを聞いてどう感じるか?考えて見てほしい。

インターナショナルスクールって聞いたことあるよね?俺のイメージは多国籍とか、バイリンガルとかセレブとか?小中学校って"絶対に!"日本在住なら住む場所によって小中学校は私立以外決められてるらしい。となると、インターナショナルスクールの人はどう言う扱いなのか?と言うと「不登校」になるらしい。
お前は「逃げた」と言う感覚がある様なことを言ってたけど、これからはインターナショナルスクールに行ってたと考えるのもいいかもしれない。同じなんだよ?と

「言いたいことはなんとなくわかるけど」と、笑っていたが、家出をした日、警察や学校関係者に手伝ってもらって探した時、もっと安心できる様に守ってあげられなかった。今もこうして元気に生きていて、今日からは大学生になること。ココロやカラダを壊さずにいてくれたこと。それだけで十分有難い。

近況報告

ずいぶんnoteをご無沙汰している。書くことはもちろん、フォローさせていただいている方の記事もほぼ読めていない。仕事をしながら、親の介護きょうだいの看護、子供たちのこと、自分の体のことなどで精一杯。気持ちも体も余裕がない。早いもので後少し寝ると"胃の卒業式"から3年が経つ。何度目かの定期検査も無事に「再発なし」がもらえるといいなと願っている。ではまた、会えます様に⭐️

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hiro
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