さて、今回のテーマは2023年10月に入学したWuppertal大学の修士課程です。 ヴッパータールとは私が住んでいるケルンから電車で約30~45分のところにある「現役世界最古のモノレール」で有名(?)な街です。 他にもいくつかの大学院に出願し、入学許可をもらいましたが、今住んでいるところから電車通学が可能であること、興味のある政治学科に入学できることなどを考慮してこの大学に決めました。同じタイミングで入学した同級生は全部でたったの6人。休学していたり、次の学期から入学し
しばらく更新が途絶えていました。 原因は大学院への入学ですね。去年の10月にWuppertal 大学の政治学科修士課程に入学しました。この話はまた別の機会にしようと思います。 さて、今回のテーマであるサッカーの23/24シーズン。 長かったシーズンも残り2試合となりました。 所属チームは以前のままで、ドイツ5部リーグでプレーしています。今のチームには2020年の夏から所属しているので、チームの中でもかなり古株になってきました。6部優勝、5部昇格、5部残留、などなどたくさん
さて、タイトルにあるように、この度、晴れて慶應大学を卒業することができました。 先に待っている未来にワクワクしながら入学式を迎えたのは既に5年も前の話。後々ドイツの大学に単位を移して転学すること、もしくは退学しても良いと覚悟して渡独したのももう3年前の話。あっという間の大学生活でした。そのうち日本にいたのは最初の2年間だけでしたが、コロナもあり、幸運もあり、なんとか卒業まで辿り着くことができました。 卒業したことはよかったとか、卒業しなくてもよかったとか、そんなことは現段階で
今回は、ドイツでの大学入学についてです。 実は、2022年の4月にドイツの国立大学であるボン大学の経済学部(Volkswirtschaftslehre)に入学しました。正規留学です。2021年4月から2022年3月までの1年間はボン大学のドイツ語準備コースに通いました。そして、コースの最後に行われるDSHと呼ばれる大学入学ドイツ語試験に晴れて合格し、ドイツで大学生になることができました。 ドイツは大学生にとても優しい国だなと感じます。まずは学費が無料。そして、大学生チケッ
お久しぶりです。 今回は主にサッカーに関しての近況報告をしたいと思います。 実質ドイツに来て初めてのシーズンとなった昨シーズンは6部リーグ優勝という結果で終わり、今シーズンは5部の舞台でプレーしています。渡独してから、コロナでリーグが中断し、練習すらできない時期があったり、移籍当初は慣れないポジションでプレーさせられたり、ドイツ語の理解に苦しんだりなど、いろいろなことがありましたが、やっと一歩前進した感覚です。 8月末にシーズンが開幕し、12月まで前期15試合を消化しまし
この約2ヶ月ほど、毎日更新を楽しみにしていたものがあります。慶應ソッカー部の卒業ブログです。彼らからしたら、私はただの途中で退部した元チームメートくらいかもしれないが、私からしたらかけがえのない大学サッカーの同期です。そんな彼らの卒業ブログを全て読み終え、先日の早慶戦のハイライトを見て、(ドイツではVPNの関係で生配信見れませんでした)、最終節のYouTubeでの生配信を見た今、自分も何か思ってることを綴ってみようかなと思いました。 ソッカー部生活さて、私のソッカー部生活は
2020年の2月に渡独してから早1年と7ヶ月が経ちました。この1年7ヶ月のおよそ半分はチーム練習のできない期間でした。それでも、いつ再開しても良いように毎日自主練をして、ジムがしまっているから部屋で筋トレをして、ケルン大聖堂を横目にライン川沿いを爆走して、コンディションを維持してきました。このことについて書くとまた話が長くなるので、今回は省略します。 まずは私が現在所属しているチームについて。 現在、私はケルン近郊の6部リーグのチームに所属しています。このチームは2年前まで
「何事も本気が人を変えるし動かす。本気だからこそアクションを起こす。」 私が尊敬して止まない元日本代表の戸田和幸さんからいただいた言葉です。 ドイツに行く決断をしてからは、「行動力があるね」とよく言われるようになりました。 今、私が生きて行く上で大切にしている言葉。 「行動力」 今日はこの行動力について、私が考えていることを書こうと思います。 2019年の8月頃から、本気で大学のサッカー部をやめて海外に行こうかと考えるようになりました。 カナダに行った先輩とご飯
2月になりましたね。受験シーズンです。私が経験したのはもう3年も前のことですが、それでも毎年この時期になると、大学受験の頃の記憶が鮮明に蘇ります。 とてもやかましいタイトルにしてしまいましたが、今回はドイツでの生活ではなく、これまであまり人に語ったことのない私の大学受験の経験について書こうと思います。 <慶應に行きたい>高校3年生になる前の春休み頃には、自分の中で慶應義塾大学に行きたい、慶應でサッカーがしたいという気持ちが固まってきていました。 部活の合間を縫って、1人
前回の記事ではドイツでの初めての引っ越しについて書きました。 今回は、その引っ越しをする前、2020年3月から5月末までの3ヶ月間住んだ家での生活について書こうと思います。 <どんな家?>私が住んでいたのはケルン市内のHolweideという地区。住宅が多く、高齢者や子供のいる家族が多く住んでいて、全体的に静かで治安の良さそうな地域です。 私は老夫婦の大家さんが住んでいる一軒家の一部屋を借りるという形で住むことになりました。この物件は語学学校と提携しているようで、私の他に
ドイツで初めて引っ越しを経験した時のことについて書こうと思います。 <前情報>まず、私はドイツ渡航前にケルン市内で部屋を探しました。が、本人が現地にいないと不利な面も多く見つけることができませんでした。 そこで、通う予定だった語学学校に紹介してもらい、3月から住むことのできる家となんとか契約することができました。 この最初の家のことについてはまた後日書こうと思います。 最低でも3ヶ月は最初の家に住まなければ行けなかったのですが、何かと不自由な面も多くとにかく6月の頭で
ドイツに住み始めて強く感じた言語についての話。 日本で私は家庭教師のアルバイトをしていた。子供達の勉強のサポートである。もちろん日本語で教える。 当たり前に思っていたその関係性はしかし、先生と生徒がお互いに日本語が扱えるという条件のもとで成り立っていたんだと気付かされた。 例えば、今、ドイツ人の子供に家庭教師をしろと言われたらできるだろうか?例え頭で全て理解できていたとしても、それをドイツ語で教えるのは難しいだろう。 もっと言うと、今自分の目の前に2人の子供がいる。1人は
もしサッカーをしていなければ。 小学生、中学生の時、放課後走ってグラウンドまで行くことはなかっただろう。 わざわざ片道90分もかけて都内の高校に通うことはなかっただろう。 死ぬほど必死になって大学受験のために勉強することはなかっただろう。 ドイツで暮らすという決断をしていなかっただろう。 何かに勝つ喜び負ける悔しさをこんなに感じることはなかっただろう。 熱中するものがあるという幸せを理解できていなかっただろう。 目標に向かって直向きに頑張ることを学んでいなかった