【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第五章「法隆寺燃ゆ」 中編 3
頭の草衣之馬手(くさころものうまて)に、犬甘弓削(いぬかいのゆげ)、孔王部小徳(あなおうべのしょうとく)、物部百足(もののべのむかで)、顔や腕には傷や火傷の跡があり、着物も煤けたり、破けたりしているが、みんな元気そうだ。
焚き火の傍で横になっているのは物部鳥(もののべのとり)のようだ。
あとは………………黒万呂は辺りを見回す。
彼が何を捜しているのか察したのか、馬手が重苦しそうに口を開いた。
凡波多(おおしのはた)も、孔王部宇志麻呂(あなおうべのうしまろ)も白村江に沈んだそうだ。
「宇志麻呂に流れ矢が当たってな……」
櫂を漕いでいた宇志麻呂の胸に矢が当たり、船から落ちた。
それを多が助けようと飛び込んだ。
だが、二人とも浮かんでこなかった。
「あの阿保が! 泳げんくせして!」
弓削が吐き捨てるように言った。
「そうですか……、それで皆は?」
「ワシらは大丈夫や。あの戦の中でも、ほれ、何とか生き延びたわ」
百足がドンと胸を叩く、その癖、自分で咳き込んでいる。
「ただ、鳥はな……」、小徳が鳥を見た、「足の鏃は抜いたんやけど……」
そこが化膿して、どんどん広がっているらしい。
「だ、大丈夫や、ワシなら。こんなケガぐらい……、ど、どおってこと……ないわ。だ、大丈夫や、ワシは。きっと戻るんや、斑鳩に戻るんや」
鳥は、消え入るような声で言った。
「分かったから、鳥、いまはゆっくり休め」、馬手はまるで駄々っ子を寝かしつけるように、耳元で囁いた、「あと数日で出航やからな。海に出たら、また体力を使う。それまで、ゆっくり休んどくんや」
「そうや……、あと少しで……、あと少しで帰れるんやな、斑鳩に。あと少しで……」
「ああ、そうや」
「あと少し……、あと少し……」
不意に消えた声に、馬手は慌てて鳥の口元に耳を近づける。
黒万呂たちも、まさかと近寄る。
八の字の眉をゆっくりと解いて、馬手はほっと安堵の息を吐いた。
「大丈夫や、寝ただけや」
黒万呂たちも、ほっと息を吐いた。
「ところで、そっちはどうやった? 大丈夫やったんか? 弟成は?」
馬手の言葉に、今度は黒万呂のほうが目を伏せた。
黒万呂は、ことの顛末を語った
「そうか、弟成も駄目やったか……」
家人たちはガックリと肩を落とす。
馬手たちは家人である。
黒万呂や弟成は奴婢である。
両方とも斑鳩寺の隷属で、いわゆる賤民ではあったが、家人と奴婢では人としての扱いに雲泥の差があった。
家人はまだ人としての最低身分を約束されていたが、奴婢は道具 ―― 物扱いである。
通常なら、気軽に口をきけるような間柄ではなく、家人は家人として奴婢よりも身分は上であるという誇りもあるし、奴婢は奴婢で家人に対する劣等感もある。
馬手たちからすれば、奴婢のひとりがいなくなろうが何とも思わないし、黒万呂からしても、家人の何人かが死んでも一向に困らない。
だが、みな斑鳩寺出身という同属としての親近感と、ともに出征し、遠い異国の地で生死を共にした連帯感が、彼らの結びつきを強くし、馬手たちはひとりの奴の死を悼み、黒万呂は家人たちの最期を悲しんだ。
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