己の過去と対峙する強さ。 -『みんな知ってる、みんな知らない』読書感想文-
過去の自分と向き合うことに奔走した2人の女性。
ひたすらに苦しい展開が続くこの物語を読み、私は新たに小説の読み方を知った気がした。
今年の秋、5冊目に読んだのはこの本だった。
1995年6月4日、奇しくも同じ日に起こった“事件"により、9歳の二人の少女は49日間、一人きりでの軟禁を余儀なくされた。奇跡的に生還を果たして20年後、封印してきた記憶を二人が徐々に取り戻すとき、再び事態が動き出す! 韓国人女性作家の新星による、スリルに満ちたサスペンスの傑作。
<みんな知ってる、みんな知らない>
物語は1人の少女のある壮絶な49日間から始まる。
そこから段々と視界は多面的になり、全てが細い糸で繋がっていたかのように、各々の壮絶な人生や、同時期に起こっていた別の人々の過酷なストーリーへと広がっていく。
仕方がないとは言い難い、登場人物たちが置かれた環境。
ある1人にとってその対象は紛れもなく悪であり、それによって人生を狂わされている。
それでもその悪であるその1人もまた、そうしなければ自分が生きていくことができないほどの闇や苦しみを抱えていた。
己が受けたものを、同じように、または違う形で他の誰かに向ける人。
逃げることしかできなかった人。どうすることもできなかった人。
その鎖のように絡みついた負の連鎖を、失われてしまった記憶をたどりながら紐解くという精神の削られる作業に、傷を負いながら立ち向かったかつての少女たち。
今までノンフィクションや身近に起こり得るであろうシチュエーションの小説を読むことが多かった私は、本書を読み進める中で、かなり困惑した。
これ、果たして私は読んだあと、感想を書けるのだろうかと思った。
そこで気づいたのは、今まで私は文章を読んでいる時、大体「私だったらどうするだろう」と考えながら読んでいたということだ。
本書に「私だったら」を思い描くのはかなり苦しいところがあった。
しかし、そこでもう1つ気がついた。
「小説を読むこと、読み方」への新たなの出口のようなもの。
これまでもなんとなくそういう風に味わっていた小説もあっただろうに、本書によって改めて気付かされたのだ。
物語にはその内容や言葉、描写、展開などのストーリーそのものの魅力もあるが、それを通して何を描いているのか、根底にある訴えたいメッセージはなんなのかという真意がある。
そういう側面から読んでいくと、これは私の中でもとても身近な、あり得る話になった。
己の過去に対峙することができるかどうか。
その強さと、それを行った先にある「向こう側」をこの作品は提示している。そう思った。
今現在、私にもブラックボックスの中にひっそりと眠らせているような過去がある。忘却するほどの衝撃ではなかったのか、私が何か冷めているのか、もしくは忘れないことに意味があると思っているのか。
理由はわからないが、決して忘れられない、それでも覚えていることによって私を時折じわりじわりと締め付ける「過去」。
今後私は「それ」と、どう生きていくべきか。
そんなことをとても考えさせられる作品だった。
この今日も明日になれば過去であり、この先の未来に進んでいく私たちにはこれからも無限に「過去」は生まれていく。
その過去をどう捉え、どう生きていくか。
以前にも書いたようにずんもりが嫌いな私。
本書は、ずんもりどころの騒ぎではない。
正直、なんともひたすらに苦しい気持ちになった。
唯一の救いは最後に、過去と向き合った彼女たちの「今」を読むことができたことだ。
そのおかげで、小さなスプーンですくったような僅かな光が見えた気がしたし、彼女たちの壮絶な物語の、その向こう側にある意味にたどり着けた気がする。
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