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多様性と新たな闇 -『死にがいを求めて生きているの』読書感想文-


誰しも一度は考えたことがあるだろう。
自分の生きがい、生きる意味はなんだろうかと。
そしてその時、人によっては真っ暗な井戸の中に落ちてしまったような感覚に陥ることもある。

どこにも繋がらない先の見えない道を眺めているような焦燥感。
自分が何者でもない、何にもなれないと感じた時の虚無感。


私がこの秋読んだ4冊目の本はこれだ。


筆者の本を読むのは、これが2作目だった。
最初に手に取ったのは数年前に読んだ「桐島・部活やめるってよ」である。

そして今回の「死にがいを求めて生きているの」は筆者のデビュー作である「桐島・部活やめるってよ」といくつか通ずるものがあるような気がした。
しかし本書は青春小説ではない。

若者、時代、やりがい、価値、幸せ、苦悩、羨望、葛藤。

個が尊重され、争うこともなく、価値観は人それぞれというある種優しく思えるような世界で、それゆえに生まれた新たな生きづらさ。
誰もが登場人物の中に「こういう自分、いる」と感じるのではないだろうかというくらい、私は本書の複数人の中に自分を見た気がした。
人物の書き分けや、その細部まで想像できるような表現によってよりそう感じられたのかもしれない。

全く別の世界のそれぞれの話が徐々に鎖のように繋がっていくザワザワ感。
もう最後は、もはや本書はホラーなのではと思えるくらいの得体のしれない恐怖のような感情が湧き、どんどん加速する操縦不能な乗り物に乗っているかのような凄まじいスピード感とスリルに圧倒された。


本書を読み終えた時、1つ興味深いというかふと気になったことがある。
それは、物語のキーパーソンの1人である「堀北雄介」が、本当は何を考えていてどのように物事を見ていたのか、もしかしたら私はわかりきっていないかもしれない。と感じたことだった。
というのも、本書には堀北雄介が主体となる、彼の章がないのである。

堀北の思考、行動、言動は他の人物の章と、進んでいくストーリーの中である意味十分すぎるほど記載されており、把握ができる。
しかし、それも他者から見た彼の姿であったり、他者と関わる時に彼から出てきた言葉や動き、発信した文言にすぎないとも言える。


ここに描かれていた彼以外の、世の中や友人などの他者から見えた堀北が、彼の全てだったのだろうか。
もしかすると彼は1人で自分と向き合った時には、他の人に見えていた、見せていた面とはまた違う要素も持っていたかもしれない。
それくらい、人というのは人との関わりや社会との関わりによってさまざまな「自分」の姿を生む。

それとも彼の章がないということ自体が、彼のあり方を表しているのだろうか。なんて、ちょっとこじつけのような謎の解釈を想起してしまうほど、私にとって彼の章が存在しないということは意味深に感じられた。


そして螺旋プロジェクトという存在。
螺旋プロジェクトとは「共通ルールを決めて、原始から未来までの歴史物語をみんなでいっせいに書く」という、伊坂幸太郎の呼びかけで始まった8人の作家による競作企画なのだそう。
そのプロジェクトの中で「平成」を舞台にして書かれたのがこの「死にがいを求めて生きているの」である。

別の作家の、別々の作品の中で繋がっていく共通のテーマがある、という小説を私は初めて読んだ。
そして「そうか。小説って、創作って、そういう創り方もできるのか」と今まで見たこともなかった異国の果物を食べた瞬間のような、新鮮な驚きがあった。

決められたワードや設定が本書の中でどのように広がっていくのか、そんな視点で読み進めていくのもすごくわくわくした。
正直、当初は「伝説」や「対立」というテーマにあまり惹かれる気持ちはなかったのだが、本書を読んで不思議とその謎の拒否感のようなものはさらりと消えた。

それぞれの時代でこのテーマはどのような働きをするのか、是非この螺旋プロジェクトの他の作品も読んでみたいと思うような一冊だった。


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