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焼きたてのおばあちゃんはカローラに乗って


数ヶ月前に、父方の祖母が亡くなった。

仕事中に父から入った着信。
私は息を飲んだ。
父が電話を、ましてや平日の昼間にしてくることなんて滅多に無い。

私は電話を取るのをためらった。
だって、もうこれはきっと多分あの知らせしかない。
昔、祖父の訃報を知らされた時と、同じざわめきを感じた。


それでももちろん無視する訳にはいかないので一つ呼吸をしてから電話を取る。予想通り、それは祖母がおそらくもう危ないので帰って来れるかという電話だった。

最悪の事態を考え向こう1週間の予定をできる限りアレンジし、次の日の飛行機のチケットを取った私は急いで残りの仕事をやり終えた。

「一応、喪服も準備してきて。」と後から送られてきたメッセージにきゅっとした気持ちになりつつも仕方なく、準備をする。
翌日キャリーバッグを転がして、急ぐような重い足取りのような、なんとも言えない気分で私は空港に向かった。


地元に着くやいなや急いで祖母が入居しているグループホームへ向かった私。
高齢になってから若干の認知症とパーキンソン病を患っていた祖母は、2日程前から食事もうまく取れないようになっていたらしいのだが、前々から、そのような状態になっても入院や病院への移動を本人が望んでいなかったこともあり、最後をそのままホームで過ごすことが決まっていた。

部屋に着いた時、祖母は口を開け、少し呼吸が荒くなっていたものの、なんとか対面して会うことができた。
見えているか定かではない少しだけ開けていた目にどうにか入り込むように顔を覗き込んで、私は祖母の手を取った。

「おばあちゃん、来たよ。久しぶり。わかる?」

声をかけたものの反応はあまり見られなかったが、私は両親と共にしばらくの間、祖母の部屋で家族の時間を過ごした。
そして「また明日も来るからね。」と言って一度実家に戻った。


なんとも言えない落ち着かない気持ちのまま、実家で父と母と夕食をとる。
おばあちゃんはもう何も食べられないけれど、それでもやっぱり私達はお腹が減る。
なんだかご飯を食べるのも申し訳ないような気持ちになったけれどそうも言っていられない。

祖母も生きているし、私達も生きている。
私達はまた明日のためにも夕食を食べた。

そして、夕食も食べ終えそろそろ寝る準備をしようかという22時頃。
父の携帯が鳴った。グループホームからの電話だった。

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