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例えば、目の前に泣いている少女がいるとして ~ みなさんの回答 ~
0.1%の可能性を受けてでもその覚悟で参りました。
少女はこの世界を見ているあなたの心の中(もしかしたらあなたはそう思っていないかもしれませんが)に存在しているのではないでしょうか。
少女はこの重荷にきっと耐えきらずに悲しくなったのではないでしょうか。
私は少女を守るために、先人には悪いですがこの流れを壊すを選択します。
私は私利私欲のために自分を高めてきたのではありません。弱者を守るためです。(守るというのは上から過ぎて批判はあるかもしれません)
興冷めし、私が悪人になろうともその重荷の行き先は私のように目立つ存在であれば皆がチェックしてくれるはずです。
重荷は抱えたままか、捨ててしまうかもしれません。
私にはこの重荷を誰かに渡すことは責任が重すぎて出来ません。
この重荷を私が抱えることで少女が泣くのをやめてくれて救えるとしたらそれで満足です。
批判は受け入れましょう。
この重荷が自分の思いとは違う方へ渡るのはどうしても次の哀しみを生むような気がしてなりません。
この世界が重荷の存在しない、以前のように面白おかしく笑顔の絶えないものに私は作り変えたいです。
夢の中で、少女が泣いている。
魂の底から溢れ出る悲しみが、彼女を黒い霧のように包み込んでいる。
僕はそれを見ていることしかできない。
一週間後、まだ彼女は泣いている。
涙は枯れているが、悲しみはより硬くなり、鎧のように彼女を覆っている。
僕はそれを壊すことができない。
彼女を救いたい。
でも僕の声は彼女に届かない。
心から救いたいと願う。
でも彼女に触れることすらできない。
彼女は誰だろう?
そうか、彼女は僕の娘だ。
どうして彼女を救えない?
僕が死んでしまったからだ。
目が覚めた。
僕が死んだら、娘は悲しんでくれるだろう。
でも、そこから彼女を救わなくてはならない。
だから、僕は遺書をつくる。
遺書には、僕が彼女のことをどんなに愛しているかを綴ろう。
僕たちには、なかなか子供ができなかった。
いろいろ努力したけど、だめだった。
二人で何度も涙を流した。
だから、ついに君がお母さんのお腹に来てくれたときも、僕たちは駅のホームで、二人で泣いたんだ。
君の夜泣きがすごかったこと。
君がはじめてしゃべったように聞こえた動画を、お母さんと何度も何度も見返したこと。
君が2歳になっても歩かなくて心配したこと。
君と歩いた幼稚園までの道。
ランドセルが届いた日の君の笑顔。
全部書こう。
僕がいなくなっても僕の愛が君に伝わるように。
君の悲しさが寂しさに変わり、いつか懐かしさになる時の助けになるように。
この遺書が君を救ってくれることを信じて、
僕は遺書をつくる
先人の智を軽んじることなかれ。
されど、先人の智に惑わされることなかれ。素敵な言葉ですね。
少女は嬉しくて涙したのか?悲しくて涙したのか?質問が出てから考え続けました。
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先人の智を軽んじることなかれ。ふとレイチェルさんの過去の回答を拝見しました。『だからこそ、ただの一度だけ笑ってくれれば(泣き止めば)良いのか甚だ疑問に思ってしまう』
そうなんですよね。
彼女を泣き止ませるのは簡単かもしれない、一瞬泣き止めば、じゃあそれでいいのか。そうにもいかない。
一度泣き止めば私は満足するのか。満足しない。
泣き止んだ、ではそのまま笑顔であることもなく、感情のない少女になってもいいのか。それは違う。守るわけでも救えているわけでもない。
彼女が最後の最後まで感情を持ち、ケラケラと屈託のない笑顔で笑える少女であってほしい。
泣くことも構わない。『笑顔であり、ときに安心して泣くこともできる場所』それこそが彼女を救うということ、守るということなのではないか。と。泣き止むことが救うこと守ることではない。
けれどもそれでも納得のできない私は、少女はどうすれば泣き止むのか。だけではなく、少女はどうすればなるべく笑顔でいられるのかを考えた。
それもなかなか難しい。彼女が何を好むかわからないからだ。
笑顔を『作り』、彼女が笑顔であるということに囚われて、悲しみという感情を『壊す』のでは本末転倒である。まずは彼女がその場しのぎで、笑顔を作らないよう、涙を止めないようそばにいることを考えた。
答えは本当に単純なものだった。
作ろうとも、何も壊そうともしなくてもよいのだ。
『その少女にとって何気ない生活を一緒に送ること』
それこそが彼女を守ること。救うこと。これでまずいっときの作り笑いや、いっときの泣き止みは解消できる。
あえて『作る』という言葉を使うとすれば、彼女との日常。だろうか。
そこからが問題である。彼女が笑えるようになるには。
先程も述べたとおり、私には彼女の好みが分からないのだ。
それもまた簡単だった。
彼女と過ごす中で、それを『作って』いけばいい。
『作る』、『壊す』という概念は何も一度きりでなくとも、自分の行動によって『作る』ことも『壊す』こともできるのだと。
彼女が自分を必要としなくなったときは、関係を『壊す』こともあるのだから。
ここで、「1つ壊す」を使ってしまったので、あとは自力で。
彼女に泣き止んで貰えるように、また彼女に信頼して貰えるように、話しかけたり心を読み取ったりして頑張ります。本気で考えてあげれば、いずれ信頼してもらえるはずです。そして、信頼してもらえる自信もあります。
彼女に信頼してもらえれば、この後もまた自力で。
次は彼女にまた他の恐怖が襲いかからないように、考えて頑張ります。もちろん、ちゃんと守ってあげられる自信もあります。
そしてちゃんといつも守ってあげられれば、またその後も自力で。
自分がいなくても、彼女が何事にも立ち向かっていけるように、サポートします。長い時間がかかってしまうかもしれませんが、最終的には自立させます。もちろん、ちゃんと彼女を自立させてあげられる自信もあります。
今彼女を襲う恐怖を「1つ壊す」を活用して取り除くのも大事ですが、本当に大事なのは、自力で助け、そして自立させてあげることだと思います。
悲しみの概念をこわします。
泣いて解決はしない。
そんな時こそ理性が大事です。
根本が変わらなければ何も解決はしないから。
彼女が幸せに為るための精神をつくります。
そしたら、誰かに守られなくても自分で自分の心を守る事が出来るからです。
火鉈菩津狐(ひなたぼっこ)
壊すのは自分自身の常識や成功体験。
つくりだすのは、少女との信頼関係、そこに必要なのは想像力とあくなき知的好奇心。
時間ができたので補足しておこう(レイチェル風)
みな、楽しませてくれてありがとう。
この答えに正解はないが、前のお題からの流れから、つい人は少女が悲しくて泣いてると思ってしまう。
「彼女を救いたいし、守りたい」ということは、その少女は実は他人ではなく、自分の娘の可能性もあるわけだ。
そして娘を救いたいし、守りたいというのは父親のよくありがちな感情に過ぎないともとれる。
そうした可能性を考えれば「果たして少女は本当に悲しくて泣いてるんだろうか?」と考えを巡らせるお題でもあり、実に興味深い。
もしかしたら、少女(娘)は単に私を驚かそうと、わざと泣いているふりをしてるだけかもしれない、とも考えれるわけだ。
そして私を驚かせることに成功すれば、次の瞬間にもう笑ってるかもしれない。
人は先入観で物事を1つの方向からしか見れなくなってしまい、それを疑おうともしない。
自分の常識や成功体験なぞ、捨ててしまえばいいのだ。
そうすれば私のように知的好奇心は尽きることなく、人生楽しくなるだろう(笑)
あとがき
このとき、レイチェルさんの書き真似したら「ふふ、私の物真似か。笑わせてくれる」とコメントもらって、そのあといろいろお話しさせてもらったのがいい想い出として残っています。そのときのみなさんの回答すべて復活させたかったけどそのなかで連絡とれたかたに転記させてほしいとお願いしたら、二つ返事で快諾してくれました。この場を借りて感謝申し上げます。m(_ _)m
ひなたぼっこ
#wizball #レイチェル #レイチェルの世界 #例えば目の前に泣いている少女がいるとして