見出し画像

夢は簡単にかなわなくていい~夢を見て努力できるしあわせ

イラストレーター&インタビューライターの陽菜ひなひよ子です。

文章を書く仕事をしていると「小説は書かないんですか?」とよく聞かれます。まれに「あなただったら絶対おもしろいのが書けると思うわ!」と熱を込めて言っていただくこともあります。

しかし、わたしは自分をまぁまぁ客観視できる性質たちなので、「いや自分に書けるのはせいぜい歴史にもとずいたコラムか、人様のネタをもとに書かせていただくインタビューくらいだ。フィクションなんぞ書けるわけがない。調子に乗んな!」ときつく自分を戒める日々なのです。

誰でも小説が書けるようになる本?

そんなある日、名古屋在住のミステリ作家・太田忠司さんのプロフィル撮影を我がオットの宮田(https://note.com/miyatayuhei/)がさせていただくこととなり、太田先生にお誘いいただいて、撮影の場にお邪魔することになったのです。

そしてさらに先生とお茶までできて、至福の時間を過ごしました。その際に先生から今度「小説の書き方の本を出す」とお聞きしまして…

なんと、本文中に書かれていることをその場で実践してくださったのです。

そしたら、なんだか書けるような気がしてきたのですよ!

その4カ月後に上梓されたこの本『読んだら最後、小説を書かないではいられなくなる本』(太田忠司・星海社)

もうね、とってもおもしろいんです。

なんといっても、太田先生と一緒にこの本を作っていた担当編集さん自らが「小説を書きたくなって」しまったのだから、タイトルに偽りなし。

編集さんが書いた原稿がそのまま載っています。

さすがに編集さんだけあって超ハイレベル。そのまま本になりそうなのですが、太田先生の添削を読むと、それにも納得!

この本を読んでいて、はるか昔のことを思い出しました。

実は紫式部だったわたし?

実はわたし、中学高校の頃に「小説もどき」を書いていたのです。

で、書いた小説もどきを当時の流行りでかわいく折りたたんで休み時間に友人に回していました。

そしたら、いつの間にか友人の友人も読んでいて、「続きは?」とまったく知らない子に言われるようになったのです。

手紙には順番に番号を振って、気づけば連載小説のようになっていました。

中学時代~ティーン小説風ラブコメ小説

中学時代に書いていたのは、当時仲のよかった「Dちゃん」という美少女が、片思いしていたクラスのヤンキー少年・Kくんと結ばれる話。もちろん、誰のことかはわからないように書いていました。

しかしKくんはめちゃモテ男で、Dちゃんは知らない間に敵をたくさん作っていたらしく、知らない子に悪口を聞かされることが増え…

「あの小説のモデルがDちゃん&Kくんだと知れたら殺される!」とビビったものでした。(大げさでなくウチの中学はマジで怖い学校だったのです)


高校時代~SF風ラブコメ3部作

高校時代に書いていたのは、当時大ヒットした映画『バックトゥザフューチャー1』の続編。まだ2も3もつくられる前に勝手に続編を書いていたのです。

しかも3部作でした。(ここまでは覚えているけど、どんな話だったかは覚えていない…)

これも気づけば、知らない同級生にも読まれていたのです。


まるで紫式部?!

なんだか、紫式部みたいなことしてたんじゃない?わたしってば!(←厚かましい)

というのも、『源氏物語」は最初、式部が親しい友人だけに見せていたのが宮中にまで評判が及んだため、道長にスカウトされたといわれています。

(実はわたくし、歴史コラムを書いております)


そんな「もどき」を書いていたわたしも、太田先生のこの本を読んだから、ちゃんとした小説が書けるかも?という気がしてきました。


実は紫式部だったわたし?その2

厚かましいタイトルですみません。そして長くてすみません。ここからが、このnoteのタイトルに沿った内容です。

(大河ドラマのネタバレになりますので要注意!)

紫式部が「宇治十帖」を書き始めたきっかけ

11/3放送の『光る君へ』で、『源氏物語』本編を書き終えたまひろ(紫式部)は、生きる目的を見失い、出家を望むようになります。

(道長が、「雲隠」とだけ書かれた草稿を持ち上げるシーンがありましたが、あれが有名な『源氏物語』本編の最終帖。たった2文字で「光源氏の死」を暗示しています)

病が悪化した道長は療養のために宇治へ。道長を見舞ったまひろは、一緒に死のうかと道長をいざないます。

しかし道長はまひろに、自分より先に死んではならぬと諭します。「それなら道長さまも生きてください」

2人の目の前にはキラキラと静かに瞬く宇治川の川面が広がっていました。

まひろは源氏の没後にあたる「宇治十帖」を書き始めます。

道長を宇治に見舞ったことで、新たな「生きる目的」を見つけた、という流れは素晴らしい!「そう来たか!」と感じました。


やり遂げた「達成感」が大きいほどやって来る反動

これは紫式部に限った話ではありません。

「何事かを成し遂げた者」が達成感を持つのは一瞬で、「生きる張り合い」をなくしてしまうことが多いのです。達成感が大きいほど反動も大きく、オリンピックで金メダリストを取ると目標を見失う人が多いとはよく聞く話。

いわゆる「燃え尽き症候群」ですね。

世界最古の小説の作者や金メダリストと比較するなんておこがましいですが、わたし自身も、やりたいと思っていたことはほぼかなってしまったのです。

まひろと同様、もう自分の役割などないのではないかとよく思います。


無理ゲーに挑むことこそ人生の喜び

しかし、紫式部と自分には大きな違いがあります。

それは「ベストセラー」を出したかどうかということ。

自分も100万部くらいのベストセラーを出せたら、まひろくらいの虚無感を持ってもいいのかもしれない、と思いました。

この時代に100万部は結構な無理ゲーだけど、それを目標に書き続けていこうかな。そう考えたら、また頑張って書いていこうという気持ちになれました。目標に向かって努力できるからこそ、人は頑張れるのですね。

え?次は小説を書くのかって?

太田先生の本を読んでいろいろ考えたことがきっかけで、救われたと感じます。「おもしろい小説」を書くのは、100万部ベストセラーと同じくらい無理ゲーかもしれないけれど、小説にもチャレンジできたらと思っています。



11/11(月)、たくさんのスキを集めたそうです。
スキくださったみなさま、ありがとうございます!

いいなと思ったら応援しよう!

陽菜ひよ子 / インタビューライター&イラストレーター
もし、この記事を読んで「面白い」「役に立った」と感じたら、ぜひサポートをお願い致します。頂いたご支援は、今後もこのような記事を書くために、大切に使わせていただきます。

この記事が参加している募集