コンプレックスがあるから執着する
ある職員Aが「集団に参加しない子ってなんなんですかね」と言った。急にどうしたのかと思いながら、私が耳を傾けると「何もやってみないのに集団へ行かないってなんなのかと思って」とその姿に共感できず、イライラした様子で聞いてきた。
特に”何かをしたいから”という理由がないことで、集団自体を回避している姿に職員Aも困っているのだ。こういう感情が揺さぶられている人の相談を受けている時は、アドバイスよりも視点を逸らすことが良いと思っている。
どこの集団にも所属しているのに、これといった仲良しな子ができない子が施設の中にいた。その子のことを話すと、「参加すればいいという問題じゃないか」と思ったようで職員Aは落ち着き始めた。
なんでその子にイライラしたと思うのか、職員Aに聞くと「自分もやだなと思う集団活動があっても参加はしてきたから」と話し始めた。職員Aは浪人したものの高学歴・スポーツ万能と他人からすると申し分ないスペックであるのだが、家族が皆 公務員で家庭を持っていることで自分に対し、劣等感を持っているようだった。自分はある公立大学に入ることが目標だったため、やりたいことや将来どうありたいかなどはあまり考えて居なかったようだ。大学に入学するも専攻している学部とは違うことに興味を持ち始め、卒業はするものの別の大学に入学する。同い年の人たちはとっくに大学を卒業し、仕事の後輩を持つ人や役職を持つ人も増えていた。
そのような周りの環境を抱えていた職員A。こんな小さいうちからつまづいていたらどうするんだと心配してイラ立っていたことが徐々に見えてきた。
案外、人の行動にイラ立つ場面はΓ自分も嫌だけど頑張っているのに!」という奥底にある”私も”の共感がある場合が多い。同じコンプレックスを持つからこそ、相手や嫌悪感に執着してしまう。マスク警察になってしまう人もそのような部分があるのだろうか。
誰かに向けられるイラ立ちは案外、素直に行動出来ない自分へのいら立ちが根にある。自分がイライラしていると思った時には、もう一度自分を見つめ直せる冷静さを持つことで、困り感を持った子に対する共感や労いを引き出してほしい。
そして素直に行動することではなく、周りを思って行動してきた自分に労いを!
職員Aに私は、感情を吐露してくれたことへ感謝した。苛立ちから学べることもある、はず。