生活しているだけで作る犠牲がある。マルクスの資本論
2021年1月に放送されていた100分de名著ではカール・マルクスの「資本論」が読み解かれていた。指南役は経済思想家の斎藤幸平(@koheisaito0131)さん。
2020年に刊行された人新世の「資本論」がベストセラーとなり、2021年新書大賞を受賞した方です。マルクスの資本論を新しい解釈をしながら気候変動問題の解決策を論じたのがこの著書となります。
なんでこの番組を見たかというと
※興味のある方のみお読みください。
私は服が好きで、服は消耗品と考えずに購入しています。何年もかけて着たい、メンテナンスしながら楽しみたいという思いがあります。
何年も着たいと思う生地の質やデザイン、発色、糸・ボタンの強度は大量に生産できないものが多く、手作業が必要なものも多くあるのです。
好きなブランドの定番の服が質を落として値段を安くしていたり、サイズ展開を狭くしたりしていることを感じ、消耗品として低価格で大量生産しているユニーククローゼット系を買うのを意識的に止めました。
福祉に対する対価も納得できずにいるのだから、労働者にも対価をきちんと払った気持ちになれる物を買わないと、と思ったのです。そんな時にコロナ禍を迎え、資本社会について考えるようになったため、番組を観ました。
(伊集院さんのことも大好きです。)
社会に需要のある自分であれ
需要を得るための勉強、手に職と思っていた。勉強は未来の仕事のために、勉強を制する者が大きなお金を得る!とも。
実際に保育士という職を身につけ仕事をするようになるが、求められるものは大きいものの、いつも人が足りない、給料が少ない、やりがいだけでは食べていけない現実があった。知り合いの農家も求められているのに、同じ状況だった。結局、世の中 金だ。政治のせいなのか何のせいなのかよくわからない思っていたが、資本論を知って腑に落ちた。
みんなと手を引いて頑張ってくれた人よりも、みんなの足を引っ張ってでも利益をとった人が1番。だから勉強も競争、競争社会で図太く生きていく人が勝ち、早くたくさんが勝利。
たくさん納税したからエライ /
納税しない人はダメ
仕事が早い人はエライ /
仕事が遅い人はダメ
こんな考えの延長で「給食を早く食べた人がいい子」「制作物を早く完成させる子がいい子」となっていくのは嫌です。例えは極論でしたが、笑い話では済まされない子どもの競い合わせ現場はあります。
資本論を通して考える平等性
社会資源は金次第。
教育もお金で質の良いものが受けられる。
仕事1つも奪い合いの社会で良い教育を受けたものが手に取る。
全部お金を得る為に考えられていませんか?教育すらも誰かの大きな資本を作るためのサービスとなっている構造。
大人になると言うこと、自立と言うこと、これを資本主義社会上で考えているのではないかと番組を見ながら思ったのです。そしてそのような考えが保育や教育、子育てに反映されていく。
たくさんの中立性を言葉では学ぶのに、体験はいつも競争社会の結果を生んでしまう。平等性を作ることが犠牲や我慢を強いることを感じさせてしまうこともあるのです。
本当の平等性とは人の心の見方を変えるだけで作るものではなく、人を通して時間や資源、経済も同時に変えていかなければならないものなのだと気づかされました。
アボカドのお話
100分de名著の中にこんなお話がありました。
アボカドを生産していると、栄養価が高いため 土の養分が吸い取られてしまう。本来は土のケアも必要なのだが、経済を回すためにはアボカドをたくさん何度も作る。それを他の国の人が「体にいいから」とたくさん食べる。土はどんどん悪くなり、雨に弱くなり、土壌が荒れていく。たくさんアボカドが売れるから、その利益を取ろうと安価で売る企業が増える。労働者は賃金も下がる。
もしこれが絵本や童話の話だったら、あなたはどう子どもに読み聞かせるでしょうか。