人とじぶんを比較して落ち込まなくなる方法
ごきげんよう~ 写心家ツッシーです。
またの名をご近所カメラマン。
最近は「みんなのフォトグラファー」としても活躍中?
今回は人とじぶんを比較して落ち込まなくなる方法
とっても自己啓発っぽいタイトル、なんか「釣り」っぽいタイトルですね~
そう、じぶんはとっても比較ヤローだったのですよ、今もまだそうかもしれません。
参考記事:比較は悪いことじゃないよぅ
そんな比較ヤローが人と比較しなくなってきた、そんな方法をお伝えしようと思います。
まず前提として、比較することは悪いことではない、ということを設定するところから始めます。
比較ってむしろじぶんを知るために必要なツールだったりもします。大事なことは、人とじぶんを比較して劣っていることが悪だと思わないということやじぶんには価値がないと思わないこと。
例えば、じぶんのnoteやInstagramの投稿の「スキ」や「いいね」の数が他のフォロワーさんと比較して少ない事がじぶんには価値がないんだと思ったり、あの写真よりじぶんの写真の方がいいでしょ、とムカついたり。
もうひとつじぶんの例を上げると、
1回目の緊急事態宣言の時に特に強く思ったのが、
「テレワーク」「オンライン」ができない
=価値がない人間
ということ。あくまでじぶんが、です。
別にテレワークしなくても価値がない人間じゃないし、「ZOOM飲み」に参加できなくても価値のない人間じゃないし。
ただ当時のじぶんはとっても価値のない人間だと思ってた。
スーパーの現場で働いてる人なのでテレワークなんてできないし、とっても忙しく、売上も毎日読めず神経をすり減らし、家に帰るとご飯を食べて倒れるように寝てしまい、その一方で働けない方々もいるのに忙しいなんて言っちゃいけないとか。
不要不急の外出を制限され、テーマパーク、観光地、商業施設などに行けず「STAY HOME」を余儀なくされ、ストレスや不安を抱えた多くの方々を支えたむしろ立派な人なんでしょうけど。
SNSの投稿を見ると、「テレワーク」「オンライン」「ZOOM飲み」の投稿ばかりで、真逆なじぶんの環境はとっても惨めで、孤独感、疎外感、無価値観を味わったものです、じぶんが勝手にですけど。
ある意味これは「同調圧力」だと思いました。
世の中にはみんなと同じに行動できない側の人もいるんだよ、ってのを分かってほしくて苦しかった。苦しくて苦しくてどうしようもなかったのですがガマンしてました。
働きたくても働けない方々を想う気持ちと助けを求められない性格と。
でもこれらは人と比較して、同じに行動できない事が悪だという前提の元に生まれた気持ちだと今は思っています。
「隣の芝生が青すぎる」
だったのでしょう。
そして時は流れ2度目の緊急事態宣言
「テレワーク」の風潮が高まってきてますが前回のような嫌な感情は全く沸かないといったらウソになるが前回ほど「すべてのSNSをやめよう」と思うような心境にはなってません。
2回目の緊急事態宣言なので免疫もついたし、図太くもなってます。それなりに勉強もしてるし「心の拠り所」みたいなものもできたし。
プラスして人と比較して人と違ってたり、人より劣っていてもそれが悪いことではなく、価値がないことでもない、という前提が持ててきた事で全くというわけではなく落ち込まなくなってきたのです。
人と比較する行為そのものはじぶんの立ち位置を知るモノサシであり、問題だったのは人と比較して、いいね、スキ、年収、貯金などの数値が低い事やテレワーク、オンライン、ZOOM飲みなど人と同じ行動ができない事が「悪」であったり「ダメ」であったり「価値がない」事であるという思い込み、前提です。
タイトルを見ると完全に克服したっぽいタイトルですがまだまだ発展途上、若干「釣り」を意識したタイトルだなぁというのはここだけの話(笑)