先日、30歳の誕生日を迎えた。あまりにも大きな節目だと思ったので、記しておこうと思う。 10代の頃からの目標として、30までに、やりたいことを行い、行きたいところに行き切ろうと思っていた。そうしたら、その後の人生は、余暇になるだろうと、好きなことを仕事にして、ゆっくり過ごせるだろうと、そう思っていた。今、思うと、甘い考えだと感じる。でも、30歳までに死んでもいいくらい、生き切ろうとそう思っていた。わりと、本気で。 家族、友達、仕事、恋愛。結構、大きな失敗をしたと思うし
寄り添う、夜になって。 光の黄昏 光の方程式 名もなき光の協奏曲 眩しいはずだ 涙に霞んだ星空によせて たくましく生きる星となれ どこへでも行ける光になれ 届かぬことのない まばゆい光になれ つかむことのできない 光になれ 明日には無くなる 夜の一等星になれ 盲目の彼方 目指すは星の 夢となれ 明かすことのない 秘密となれ 辿り着くことが困難な 結びとなれ ただ、最期には 光で溢れること
夢を叶えるのは、難しい。海の向こうでは、同学年のあの人が、大活躍して、夢を叶えている。行きたいところがある、欲しいものがある、その二つがあれば、それだけで、生きる意味に値するのではないか。その、もう一つに、言葉がある。泣きじゃくるあの声も、爆発した生命も、あの波にかき消された喜びも、言葉は、声を乗り越えてくる。何も聞こえない、何も聞きたくない。そんな時にも、言葉はやってくる。空を越えて、海を越えて、闇を越えて。結局のところ、誰も言葉には勝てないのである。声にならない叫びもあ
今年も終わろうとしている。”今年、何か成し遂げたか?”いつもその問いに辿り着く。頑張った。それは、言える。だけれど、”何か成し遂げた”という大それた問いに語りかけるほどのことは、していないのである。でも、目標としていた中判カメラの購入は果たすことができた。(いきなり、いま修理出してて不安なのですが)今年中に手に入れられたこと、それは、とても大きな僕の頑張りであったと、胸を張って言えることだなと思う。よくやったぞ、俺。次の目標である、旅。これは、来年。必ずと言っていいほど、成
上り坂、下り坂、まさか。こんな歳になるなどとは思ってもいなかった。もっと、早く死ぬんだと思ってた。でも、この歳まで生きてきたのだから、せめて、あと一年くらいは悪あがきしてみようと思います。本日、誕生日でした。 そんな今日は、東京の北村写真機店に中判カメラを見に行ってきました。PENTAX67、重かった… あんなに重いとは思わなかった。「持ったことあります?ないです。持ってみます?はい!」ってなって、持ってみたけれど、あまりに重かった。みんな、素知らぬ顔で首から下げてます
久しぶりにつらつらと書いてみる。Instagramに書こうと思ったのだが、少しだけ長くなりそうだから、それに、久しく書けていなかったから。ここに書こうと思います。 唐突だが、ゴダイゴが歌う『銀河鉄道999』の詞について、思ったことを少し書いてみようと思う。 詞に「古い夢は置いて行くがいい ふたたび始まるドラマのために」というものがある。曲は、聴いたことはあったけれど、耳に流していただけだったみたいだ。久しぶりに聴いて、僕は、とてもハッとした。 僕には、死ぬほど
孤独にならないで そう言われたわたしは 孤独と友達なわけで ひとしきり泣いて わたしとあなたの 秘密の遊び場で 幸せだって つぶやくの 僕だって 孤独さ 眠れない夜を越える そう 何夜も何夜も 声にならない 燈となって 庭には 喜びを舞う 精霊たちがいて 幾分 華やかな宴となり 空へと帰っていくの わたしにできることとといえば 祈りを捧げることくらいで わがままな生き方をしてきた分 足には鎖が繋がれていて この庭から出られないの 泣いてすむくらいなら 天国も地獄も 神
見えない声に奪われないように、冷たい声に失われないように。最近の僕は、あんまり元気ではないです。昨年末くらいから色々、私生活の方で起きていて、わりと長く、暗いトンネルで。そういう時、心で思うのです。「焦らない」「欲張らない」「負けない」と。傷ついている時は、成長してる証拠。強くなっている証。意識高い系YouTuberさんのポジティブ動画を見漁ったり。強く思うのです。僕は強い。そう、言い聞かせるのです。でも、そんな言葉も、思いも、歯が立たないくらい、弱ってしまう時があるのです
あなたは、運命を信じますか?僕は、信じます。マイナスなことであったとしても、プラスな出来事でも、感じます。運命を。今年は、別れの年でした。「ごめんなさい、さようなら、またね」マイナスな言葉を、何回か受けました。またね、とかあればなんだか、少しは救われたような気持ちになるのですが、もう会えない、連絡も返ってこない。そういうのは、もう、嫌だなと。耐えられないな、と思うのです。だから、予防線をはって、もう恋しない。とか、勘違いしないように気をつけよう。とか、思っていたのですが、な
久しぶりのnote。誕生日に、一度書こうと思って、テキストを開いたのですが、途中で断念していましたね。そういうとこだよ、俺。気合い入れろ。少々、お付き合いください。 やってきました、2022年末。よく生きました。後半、ぼろぼろで。特に、10月、11月、12月。本当に、ぎりぎりでした。なんとか、来年に繋げていけそうです。出会いもたくさんありましたし、悲しい別れもたくさんありました。傷つくことに慣れてはいけないと思うんです。と言いますが、全然慣れないんだけど!大人になったの
アメリカ人の写真家、アレック・ソスの写真展を見に、神奈川県立近代美術館、葉山館に行ってきました。とても、とても良かったです。距離感が、彼の写真にはあって、被写体との距離を大事にしている方だなと思いました。大判カメラで撮った迫力、気持ちのいい圧、鋭さ、美しかったです。大判カメラは難しいけれど、中判カメラ、欲しいな。いつの日か。そして、僕は、一生、写真を撮り続けようと誓ったのである。 もう、あそこまで行くと、鎌倉、江ノ島も近いのですね。天気も良く、よく見れました。江ノ島周辺
いよいよ、10月ですね。よく、ここまで生きましたね。なんか、年末の頃になると、ほんとよく思う。よく生きたな、って。僕はこれを市立図書館で書いている。平日の昼間とあって、全然人がいなく、閑散としている。でも、ここを生き甲斐にしている人は、たくさんいるんだろうな、って思います。僕も含めて。空気も秋めいていて、黄色い落ち葉も目立ち始め、秋なのである。秋花粉も落ち着きました。くしゃみは、まだ出るけれど。 9月上旬(時を逆行) 小さな町の小さなフェスに来ています。今年、最初で最
大人になったら、誰も気にかけてくれる人はいないし。そうなんだよ。当たり前とか使いたくないけど、普通にそうなんだよ。学生の頃は、気にかけてくれる先生とか、見守られていた。そういう面では、とても救われた学生生活だった。僕が、ぼろぼろだったから、気にかけてくれたのかもしれないけれど。僕が、あからさまにアレだったから。 どうしても憎しみめいたものがあって。この先、ずっとそうなんだろうなと思ったりして。 久しぶりに、何もない夜を過ごしている。安心する。夜更かしもできて、朝寝坊
なぜか、すべての言葉を書き連ねても、嘘っぱちの様に感じる。 僕の人生、特に学生時代は、あと一歩。が足りなかった。あと1点とか、僅かな選択ミスとか。何が出来て、何が出来なかったか、何もかもわからなかった。そんな余裕、全然無かった。でも、全力で生きてきたつもりです。でも、足りなかった。時間が無かった。悔しい思い、救えなかった人も、何人もいた。僕自身も。その人が結果的に、いま幸せなら、それでいいのだけれど。思い出も僕も、今の僕も、全然幸せじゃない。 確かに、求めているもの
今回は、愛する犬について書いておこうと思う。 2022年7月18日(月)海の日、愛犬が死んだ。 寂しい。 悲しい。 死とは、何か。久しぶりに、もの凄く考えたし、泣いた。どうして、生き物は、死ぬ前提で生まれ、当たり前のように死んでゆくのだろうか。映画『C'mon C'mon』でもそんな問いがあった。死ぬには、絶対に理由があると思うの。頑張ったんだと思うだ。彼も。死ぬ、っていうことは、頑張った「証」なんだと思う。生きてることは、特別で、だから、死ぬことも、特別で
やっぱり表現してる人でありたいなと、思った。何を見てとか、誰を見てとか、言い出したら切りがなのだけれど。とにかく、カッコよく。優しく。あったかく。そんな人でありたい。やりたいことは、幾つもあって。叶えたいことも、何個もあって。でも、人生は一度きりで。僕は、僕の感性を使い切るには、この一つの人生しかなくて。だから大切で、無駄な時間なんて1秒たりともなくて。僕が見ている景色には、かっこいい大人がたくさんいて。映画だってそうだし、小説だってそうだし、写真だってそうだし、音楽だって