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言葉になりたい

 夢を叶えるのは、難しい。海の向こうでは、同学年のあの人が、大活躍して、夢を叶えている。行きたいところがある、欲しいものがある、その二つがあれば、それだけで、生きる意味に値するのではないか。その、もう一つに、言葉がある。泣きじゃくるあの声も、爆発した生命も、あの波にかき消された喜びも、言葉は、声を乗り越えてくる。何も聞こえない、何も聞きたくない。そんな時にも、言葉はやってくる。空を越えて、海を越えて、闇を越えて。結局のところ、誰も言葉には勝てないのである。声にならない叫びもあるし、喉が血まみれになるほど叫んだ声も、届かないこともある。言葉は、時折、刃を向ける。心臓を刺す。だけれど、言葉が無かったらどうだろうか。何も言われず、何の指摘も、交流も無い。そんな夜を、時々、僕は、過ごす。泣いたって、仕方がないのだけれど、声にならない、言葉にならない、涙の夜を越える。努力すれば叶う夢も、これからだって、たくさんある。しかし、時というのは、不可逆の一方通行だ。これを書いてる2024年9月現在は。それがルールで、どんな過ちも、どんなに美しい景色も、同じところへ戻ることはない。僕らは不思議で、カメラというものを発明した。これは、カメラは、この先、何があっても、遺さなければいけない。AI がどれほど素晴らしいものであったとしても、僕らは、自分のタイミングで、大切なものを、大切な時間を遺さなければならない。と言うと少し重くなるのかもしれないが、遺すべきだと、僕は思う。

 言葉の話に戻そう。僕が「言葉」に、真っ直ぐ出会ったのは、高校生の頃だったと思う。授業中も読んで、叱られる日もあった。それから、言葉との付き合い方は、読むより、書く方へと、進んでいった。誰に届ける言葉でもない、独白を書く
ようになった。言葉は波のようで、言葉は光のようで、言葉は、時折、僕を殺した。書くことは、孤独である。優しくて、あったかい人は、言葉が綺麗だ。僕は、そんな人でいたいし、目指していきたい。そこにいる、そこのみにて光輝く。みたいな、そんな映画もありましたね。せめて、自分の好きな人だけでも、大切に、守ってあげられるような、ちっちゃいけれど、大きい心を持って。言葉で、守ってあげられるような、そんな人でありたいです。

 近頃は、そろそろ迎える年齢の大きな節目に、たじろいている。本当に大丈夫か?このままで?ありがたことに、目標は小さいながらあって、頼みの綱は、細々と、継続中である。僕が夢を叶えるのが先か。僕が死ぬのが先か。絶賛、格闘中である。やってみせるさ、必ず。

 久しぶりの note 更新が微妙なタイミングになったのは、何か意味があるのだろう。しかし、X や Instagram ではなく、note があるというのは、とても救いだと思う。読みたい言葉があるし、読んでくれる人が、まぁ、ひとりくらいは?いるんじゃないかなと思える、そんな場所で、静かに、不定期ですが、言葉を、遺していこうと思います。

 最後まで読んでくださり、本当に、ありがとうございました。

 それでは、また。

 不可逆の一方通行の、未来でお会いしましょう。

  Have a good time.

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