もうひとりの君へ
大人になったら、誰も気にかけてくれる人はいないし。そうなんだよ。当たり前とか使いたくないけど、普通にそうなんだよ。学生の頃は、気にかけてくれる先生とか、見守られていた。そういう面では、とても救われた学生生活だった。僕が、ぼろぼろだったから、気にかけてくれたのかもしれないけれど。僕が、あからさまにアレだったから。
どうしても憎しみめいたものがあって。この先、ずっとそうなんだろうなと思ったりして。
久しぶりに、何もない夜を過ごしている。安心する。夜更かしもできて、朝寝坊もできて。そんな日が、僕の単純な"幸せ"に繋がっている。
この前、国立科学博物館の『WHO ARE WE』という企画展に行ってきた。それはもう、神秘的で。毎度、あの、美術館や博物館で見る、よく目を凝らさなければ見えないような、薄暗い展示会場が大好きなのだ。息をするのが、一呼吸、一呼吸、大切になる感覚。好きだな。展示の照明とか、よく考えられてるなって、我に返ったり。楽しいのです。新しいものを受け取って、新鮮な気持ちになったり、知っていた知識を再度受け、考え直したり。僕の、現在地を考察するきっかけになったり。嬉しい、って感じているのかな。生きていていい、と感じているのかな。どこにいて、どこに向かうのか。まぁ、呼吸がしやすいのです。そこにいる、そんな素敵なところにいる自分が好きなのかな。煌びやかに、麗かな存在でいられる気がしていて。日々の血反吐吐いて生きている時間から、抜け出せるような。うん。嬉しい、なんだと思う。
常設展も、時間のある限り、見てきたのである。命の果てしない旅。地球という生き物、宇宙という箱。たぶん、僕はね、宇宙を箱だと思っていて、宇宙の外には、何か想像を絶するような世界が広がっているんじゃないかなと思うんだ。死ぬまでに、ブラックホールに入ってみたい。入ったら死ぬのか、試してみたい。でも、まぁ、宇宙空間に生身で放り出されたら当たり前のように死ぬのだけれど。たまに、そんな狂気じみたことを考えるときがあるのだ。だって、地球の歴史だけでも、人間なんて埃にも満たない存在なのだけれど、これから人類文明がどこまで進化するのか、僕が天国に行って(地獄かもしれないが)、その天国が、もしだよ?もしかしたら、宇宙空間の外に飛べるのだとしたら、最高じゃないですか?だって、誰も天国に行って、帰ってきた人はいないのだから、照明なんてできないんだよ。並行宇宙は、存在するのだろうか。考えだしたら止まらない。もうひとりの僕がいて、もうひとりの僕は、若くして長者番付のトップをはるような人でさ、富も名声も全部手に入れて。でも、映画『天使のくれた時間』のニコラス・ケイジみたいに、本当の幸せは手に入れてなかったりして。そもそも、映画にハマっていない彼は、そんなこと知るよしもない。そんな世界があったら、おもしろいな。
なんか、僕は明るくない方を歩いていて、光はそこにあるけれど、僕を、僕の道を照らしてくれるわけではなくて。暗くなる自分に嫌気が差すけど、そんな自分がいるから、浮上できる僕がいるんだなと思ったりしている。表裏一体。まさに、双極なのである。生きていれば、嫌なこともあるし、幸せなこともある。僕は、たぶん、死ぬまで、いろんな葛藤を経験するだろう。それは、君も一緒で。葛藤の無い人生なんか、嘘なんだと思っている。虚無。空虚。には、なりたくないね。
そうそう。映画が観れなくなって、でも、そういう時期なのかな?って思って、ゴリゴリのファンタジーなら観られるかも?と思い、新作が配信された『ロード・オブ・ザ・リング』を観てみたら、案の定見られて、人間なんて、わからないものだなと深々と映画にお辞儀をした。
少しばかり、涼しくなってきた。でも、仕事中は、まだまだ汗だくなのだけれど。秋だな。今年も、この季節まで生きたよ。無条件で褒めてほしい。疲れるんだもの、やっぱり生きるって。幸せになれるかわからないけれど、幸せな自分を目指して生きていたいよね。
それじゃ、またね。