ガラクタやモノ達は、循環をさせるのと、捨てるのとでは、どちらの方がよいのか?
今日は。
巷では、断捨離や全捨離、片付けなどをしている人達の間では、ひたすら捨てるの一択という人達と、捨てるか、売るか、寄付か、または必要な人にあげるという人達の話などを見かける。
先日、片付けパンダさんが、この世界には、私達がいる場所のように、モノに溢れているか、そうではない国や場所もある。 使わないモノ達を、循環をさせるのがよいのではないか? と言っていたと私は記憶をしている。
また全捨離の櫻庭さんも、埋立地がゴミで溢れているという話もされていたと、私は記憶をしている。
要は私達の今いる場所は、モノ達で溢れかえっているのだ。
それで、ガラクタやモノ達も溢れかえっている。
私は、自分のガラクタやモノ達を、いる人や必要な人達や必要なところなどに、循環をさせたい派だ。
ランドセル一つを、とってもそう。
文房具などの用具などの、一つをとってもそう。
ある国やある場所では、どんな中古のランドセル一つでも、喜ぶ子供達がいるそうだ。
どんなに、中古の文房具などでもだ。
また、どんなに中古の学術用品などでもだ。
ただここで、私が勘違いなどをされたくはないのは、私は、ガラクタやモノ達などを捨てるの一択のみの人達の判断や、考え、価値観などを肯定も否定もそもそもはしてはいない。
また、何でもかんでも、人にあげたり、寄付などをしたりすればいいとも言ってはいない。
ガラクタやモノ達が、寄付やもらった人達にとって、ゴミの扱いとなり、ゴミとなるのであれば、そもそもそういうレベルのガラクタやモノ達をあげたり、寄付などをすること自体が問題であり、もらった方は、そのゴミをまた処分をしなければいけないので、ありがた迷惑だろう。
相手の立場に立ち、あげたり、寄付などをすることも必要だ。
ゴミ判定のレベルのガラクタやモノ達を、やたらめったらあげたり、寄付などをするのは、もらう方
も逆に困る。
できれば、私は自分にとっては、自分のガラクタやモノなどの判定扱いでも、リサイクルショップなどで売り、二束三文で売れようが、またはそれらが必要な人にあげようが、寄付をしようが、自分にとっては、ガラクタやモノ達でも、できればなるべく捨てずに、必要なところへと循環をさせたい派だ。
かと言って、あきらかにゴミと誰でもが判断できるガラクタやモノ達は、別だ。
ゴミはあくまでも、ゴミだからだ。
そのへんは、どうか勘違いなどをしないでいただけると幸いだ。
先日、あるリサイクルショップで私が売ったある品物が、後日、また別に新たに私の品物達を売りに行った時、査定中に何気なく売り場をみていると、私が前回売ったモノが、売り場に並び、売られていた。
それから更に日が経ったまた後日、同じリサイクルショップに行き、新たにその時に持ち込んだ、自分の別の品物の査定中に売り場をみていると、前回の査定中に売り場で見た私が前々回売ったモノで、売り場に並んでいた物が、売れていた。
その時の私はというと、嬉しかった。
誰か必要な人のところに、自分のガラクタやモノ達がお嫁に行ったのだと。
ちなみに、「お嫁に行く」というのは、「若返り断捨離術」という本の本文より、引用をした。
私にとっては、私のガラクタやモノ達だったのだが、必要な人のところで役立つというのが、私にはとても嬉しい。
リサイクルショップさん達や、買ってくれた人達、活用してくれる人達など、本当にありがとうございます。
今日も、私は断捨離や全捨離、片付けなどを淡々と、そしてコツコツと冷静にやり続ける。
皆さん。 今日一日、お疲れ様でした。
そして、いってらっしゃい。